市司 (いちのつかさ)
【概説】
古代の律令制において、都(平城京や平安京)の公設市場である東市・西市を管理・監督した京職(きょうしき)配下の官司。市場における取引の公正さを保つため、物品の価格(市価)の決定、度量衡の公認、および不正取引の取り締まりを担った、律令国家の経済統制を象徴する官衙である。
律令国家と公設市場の誕生
大宝律令の制定にともなう都城制の整備により、平城京には東市(ひがしのいち)と西市(にしのいち)という2つの公設市場が対称的に配置された。これらを管轄するために、左京職のもとに東市司、右京職のもとに西市司がそれぞれ置かれた。四等官(正・佑・大令史・少令史)や物価・度量衡を専門に検査する「価長(かちょう)」などの実務官僚が配属され、市場の運営と秩序維持にあたった。当時の「市」は単なる商業スペースではなく、官人が支給された俸禄(布や米など)を必要な物資と交換する場であり、国家の財政・給与システムと直結する極めて公共性の高い空間であったため、国家による直接管理が必要不可欠であった。
市司の職掌と度量衡・物価の統制
市司の具体的な任務は、多岐にわたる市場の監視と統制であった。第一に、度量衡(長さ・重さ・容量の基準)の管理である。市場で使用される秤(はかり)や升(ます)が正確であるかを検査し、不正な道具による計量詐欺を取り締まった。第二に、物価の決定である。市司は、毎月の基準となる物価を品質に応じて上・中・下の三等に細分化して定め、これを公定価格(市価)として公示した。さらに、奴婢(ぬひ)や馬牛などの高額な「財産」を売買する際には、市司が「市券(公認の売買証明書)」を発行し、取引の合法性を保証した。このように、市司は市場における不正を排除し、貨幣(和同開珎など)の流通や交易が円滑かつ公正に行われるよう努めた。
貨幣経済の展開と市司の変容
奈良時代から平安時代初期にかけて、国家は本朝十二銭を発行するなど貨幣経済の浸透を図り、市司はその流通促進にも一翼を担った。しかし、平安時代中期以降、律令制の弛緩にともなって公的統制としての市司の機能は徐々に形骸化していった。貨幣流通の衰退や、貴族・寺社による「私市」の台頭、さらに市司の官職自体が特定の家系によって世襲され知行(利権)化していく中で、国家が直接物価を決定・管理する体制は終わりを迎えた。しかし、市司が築いた度量衡の検査体制や取引の公証という役割は、後の中世における座(同業者組合)や市場の自律的な秩序形成の先駆的なモデルとなったという点で、日本経済史における意義は大きい。