敦道親王 (あつみちしんのう)
981年〜1007年
【概説】
冷泉天皇の第四皇子であり、平安時代中期に活躍した皇族。優れた歌人であった和泉式部との情熱的な恋愛劇を繰り広げ、古典文学の名作『和泉式部日記』の主要な登場人物となったことで知られる。
冷泉皇統の親王としての出自と生涯
敦道親王は、第63代冷泉天皇の第四皇子として生まれた。母は藤原兼家の娘・藤原超子であり、同母兄には三条天皇(居貞親王)や、同じく和泉式部と浮名を流した為尊親王がいる。太宰帥に任じられたことから「帥宮(そちのみや)」と称された。冷泉天皇の皇統(冷泉系)は、皇位継承をめぐって円融天皇の皇統(円融系)と対立関係にあり、政治的に極めて不安定な立場に置かれていた。同母兄の居貞親王が東宮(後の三条天皇)として重きをなしたのに対し、敦道親王自身は権力闘争の中心からは一歩引いた生涯を送り、寛弘4年(1007年)に27歳の若さで病没した。
和泉式部とのスキャンダラスな恋愛と『和泉式部日記』
敦道親王の名を歴史に留める契機となったのは、寛弘元年(1004年)頃から始まった女流歌人・和泉式部との熱烈な恋愛関係である。先立って和泉式部と恋仲であった兄の為尊親王が没したのち、敦道親王が彼女に文を送ったことから交際が始まった。身分差を超えた二人の恋は、親王が和泉式部を自身の邸宅に引き取るという強硬策に出たことで頂点に達する。これに憤慨した正妃(藤原済時の娘)が離縁して出奔するというスキャンダルを巻き起こした。この情熱的で波乱に満ちた約10ヶ月間の恋愛模様は、和泉式部自身の手による『和泉式部日記』において、和歌を交えた美しい物語として描かれ、後世の王朝文学に大きな影響を与えた。