和泉式部 (いずみしきぶ)
生没年不詳、10世紀末〜11世紀中頃
【概説】
平安時代中期を代表する女流歌人。一条天皇の中宮・彰子に仕え、卓越した和歌の才能と情熱的な恋愛遍歴で知られる。親王たちとの身分違いの恋を綴った『和泉式部日記』の著者としても有名である。
「恋多き女」としての生涯と宮廷への出仕
和泉式部は大江雅致の娘として生まれ、和泉守・橘道貞と結婚したことでその名で呼ばれるようになった。しかし、冷泉天皇の皇子である為尊親王、さらにはその弟の敦道親王との熱烈な恋愛関係に走り、道貞とは離別することとなった。こうした身分違いの奔放な恋愛は、当時の貴族社会、特に父親や世間から強い批判を浴び、藤原道長からも「浮かれ女(うかれめ)」と評された。のちに道長の娘である中宮・彰子のサロンに出仕し、紫式部や赤染衛門らと共に華麗な宮廷文化の一翼を担った。
王朝女流文学における業績と歌風
和泉式部の文学的業績の代表作が、敦道親王との約10ヶ月に及ぶ恋愛のプロセスを、贈答歌を交えてドラマチックに描いた『和泉式部日記』である。彼女の歌風は、自らの恋愛感情や哀傷をストレートかつ官能的に表現する点に特徴があり、非常に情熱的であった。その卓越した歌才は同時代の人々も認めざるを得ず、紫式部も日記の中で彼女の素行を批判しつつも、和歌の才能については絶賛している。彼女の歌は『拾遺和歌集』などの勅撰和歌集に数多く採録され、のちに三十六歌仙の一人にも数えられた。