袿

高校日本史的重要度
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袿

「袿」の書き方

袿 (うちき)

【概説】
平安時代以降の貴族社会において、肌着と表着(いちばん外側の衣服)の間に着用された内着。男女ともに用いられたが、特に女性の「十二単」においては、複数枚を重ねて着用することで平安独自の洗練された色彩美を生み出す中心的な衣服となった。

日常着から宮廷装束への展開

袿(うちき)は、もともとは男女が私的な空間で着用した日常着(内着)であった。男性用の袿は、直衣や狩衣などの下に重ねて着られたが、中世以降は徐々に簡略化され、着用されなくなっていった。これに対して女性用の袿は、宮廷生活の発展とともに独自の進化を遂げた。女性が私的な空間でくつろぐ際には、袿を最上衣とする「袿姿(うちきすがた)」が一般的であり、公的な場や儀式の際には、その上にさらに唐衣(からぎぬ)や裳(も)を重ねることで、いわゆる十二単(正式には五衣・唐衣・裳)の華麗な装いへと発展した。

「重ね色目」にみる平安貴族の美意識

女性の十二単においては、袿(のちに五衣と呼ばれる)を何枚も重ねて着用した。この際、襟元、袖口、裾などから、わずかにずらして重ねた袿の色彩を見せる手法が用いられた。この配色の組み合わせやグラデーションを「重ね色目(かさねいろめ)」と呼ぶ。重ね色目は、桜、新緑、紅葉など、移り変わる日本の四季の自然美を表現するものであった。どのような色彩の袿を組み合わせるかによって、着用する女性の教養や洗練されたセンスが評価されたため、平安貴族の美意識の表現媒体としてきわめて重要な役割を果たした。

最終更新:
2026年8月12日 @ 22:54

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