裳着

平安時代以降の女子が、成人した印として初めて大人の正装である「裳」を腰につける儀式を何というか。
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裳着 (もぎ)

【概説】
平安時代以降の貴族社会において、女子の成人を示すために行われた通過儀礼。12歳から14歳頃の女子が、初めて成人女性の正装である「裳(も)」を腰に身につける人生の節目であった。

裳着の儀礼と「腰結」の役割

平安時代の貴族社会では、男女ともに成人を迎える際に特定の儀式を執り行った。男子の元服(げんぷく)に対し、女子の成人儀礼に相当するのが裳着である。年齢はおよそ12歳から14歳頃、あるいは結婚が決まった際に行われた。この儀式では、それまで着ていた子供用の衣服を改め、成人女性の正装である十二単(じゅうにひとえ)の一部である「(腰から後ろに引く長い布)」を初めて腰に結びつけた。

儀式において最も重要な役割を担ったのが、裳の紐を結ぶ役を務める腰結(こしゆい)である。腰結には、一族の長老や社会的地位の高い徳望のある人物が選ばれた。腰結を務めることはその女子の後見人(プロテクター)となることを意味し、将来の結婚や社会生活における強力な後ろ盾となった。また、この儀式と同時に、女子は髪を長く伸ばして結い上げる「髪上げ(かみあげ)」を行い、幼名から成人の名へと改名することも一般的であった。

婚姻制度と政治における歴史的意義

裳着は単なる個人的な成長の節目にとどまらず、当時の貴族社会における政治的な意味合いを強く帯びていた。平安貴族の婚姻は、多くの場合、家格の維持や権力闘争に直結する政略結婚であった。女子が裳着を済ませることは、「一人前の女性として結婚が可能になったこと」を社会的に広く宣言することを意味した。

特に藤原氏に代表される摂関家においては、天皇や皇太子への入内(じゅだい:妃として宮中に入ること)の準備段階として、裳着が極めて重要視された。幼少期から入内の準備を進め、裳着を執り行うことで正式な婚姻資格を得て、すぐに入内へと踏み切るのが通例であった。このように、裳着は個人の自立の儀式であると同時に、家と家、あるいは家と皇室を結ぶ摂関政治の婚姻戦略に深く組み込まれた制度的な装置であった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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