お歯黒 (おはぐろ)
【概説】
鉄を酢や茶などで酸化させた液体(鉄漿)を用いて歯を黒く染める、日本の伝統的な化粧法。平安時代においては貴族階級の間で、男女を問わず成人の印として行われた。
貴族社会における美意識と成人儀礼
平安時代のお歯黒は、単なるお洒落ではなく、社会的な地位の誇示や成人を示す通過儀礼(イニシエーション)としての重要な意味を持っていた。少年少女が13〜14歳頃に達すると、成人式にあたる「元服(げんぷく)」や「裳着(もぎ)」を行い、その際に初めて歯を黒く染める「歯黒め(ハグロメ)」の儀式が行われた。この時代、衣服を白く引き立たせるための白粉(おしろい)や、眉を抜いて墨で描く「殿上眉(てんじょうまゆ)」といった化粧法が主流であり、白く不揃いな地歯を見せることは見苦しいとされた。歯を黒く染めることで口元をすっきりと見せ、顔立ちを整える独自の美意識が定着していたのである。
階層と役割の変遷、そして近代における終焉
平安時代には貴族層、および一部の武士(平氏など)に限られていたお歯黒の風習は、時代が下るにつれて変化していった。江戸時代に入ると、お歯黒は武家や庶民の既婚女性の象徴(あるいは特定の年齢の未婚女性)となり、その社会的意味合いを変えて普及した。また、お歯黒に使用された鉄漿水(かねみず)にはタンニンなどが含まれており、虫歯や歯周病の予防という実用的な医療効果もあったとされる。しかし、明治維新後の近代化(欧米化)政策の中で、明治6(1873)年に昭憲皇太后がお歯黒を取りやめたことを契機に、この長く続いた習俗は急速に衰退し、大正時代までにほぼ完全に姿を消した。