公営田 (くえいでん)
823年
【概説】
平安時代前期の823年、大宰府管内に設置された官司直営の田地。従来の律令制的な税制や人頭支配が行き詰まるなか、農民を雇用して耕作させることで大宰府の財政再建を図った。国家による直営田経営および徴税方式の転換の先駆けとなった制度である。
大宰府の財政窮乏と公営田の設置背景
平安時代初期、地方政治の現場では班田収授の励行が極めて困難となり、戸籍に基づく人頭支配および租庸調の徴収が機能不全に陥っていた。特に、外交や国防の要衝であった大宰府では、官人の給与や軍備、外国使節の迎賓経費などの財源が著しく不足し、財政の再建が急務となっていた。こうした危機を打開するため、823年(弘仁14年)、大宰少弐であった小野敏(おののみやこ)らの建議により、筑前国・筑後国など大宰府管轄下の国内に合計約480町の公営田が設置された。
経営方式の特色と歴史的意義
公営田の経営方式は、従来の律令制的な税制とは一線を画していた。政府は周辺の農民(良民)を動員し、彼らに食糧や種籾、さらには労働の対価として「雇賃」を支給して直営地を耕作させた。そして、そこで得られた収穫のすべてを大宰府の財政収入(公用)に充てた。この「国家(官司)が直接、労働力を雇用して直営地を経営する」という手法は、のちに畿内で設置された官田(かんでん)や、皇室財政を支えた勅旨田(ちょくしでん)へと波及した。さらに、10世紀以降の名体制(みょうたいせい)や国司請負制の成立へとつながる契機となり、律令体制から中世的土地支配へと移行する過渡期の重要な画期となった。