興正寺 (こうしょうじ)
1212年創建
【概説】
浄土真宗の宗派の一つである真宗興正派の本山。戦国時代には本願寺と深く連携し、一向一揆の一翼を担った。河内国に別院を置いて富田林などの寺内町を建設し、地域の政治・経済・宗教の拠点として重要な役割を果たした寺院。
本願寺との提携と興正寺の興隆
興正寺は、鎌倉時代に親鸞の弟子である源海が京都山科に建立した仏光寺(山科檀林)の流れを汲むとされる。室町時代後期、本願寺第8世蓮如の熱狂的な布教活動に呼応し、興正寺第14世の蓮秀が仏光寺から離脱して本願寺派に合流したことで、急速に勢力を拡大させた。以後、興正寺は本願寺の有力な准一門として位置づけられ、戦国時代には石山本願寺とともに織田信長などの世俗権力に対抗する一向一揆の中核として活動した。
富田林寺内町の開発と歴史的意義
1558年(永禄元年)、興正寺の証秀は河内国石川郡の荒地を買い取り、門徒たちとともに富田林寺内町(現在の大阪府富田林市)を建設した。この都市は周囲に堀や土塁を巡らせた城郭都市としての構造を持ち、興正寺別院を中心に独自の治安維持や徴税を行う特権的な自治都市として繁栄した。織田信長や豊臣秀吉による兵火や寺内町解体の危機を乗り越え、江戸時代には在郷町として近隣の商業・流通の中心地となり、その歴史的景観は現代にも保存されている。なお、興正寺は明治時代に入り、真宗大谷派や本願寺派から独立して「真宗興正派」の本山となり、現在も京都市下京区に本堂を構えている。