引目鉤鼻

高校日本史的重要度
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鉤

「鉤」の書き方

引目鉤鼻 (ひきめかぎはな)

平安時代中期以降

【概説】
平安時代中期の国風文化期に成立した、大和絵の絵巻物などにおける人物の顔の表現技法。細い一本の線で目を描き(引目)、鍵括弧や「く」の字のような短い線で鼻を描く(鉤鼻)ことで、人物の表情を類型的に表現したものである。

王朝絵巻における理想の美意識

平安時代、唐風の文化から脱却して日本独自の美意識が花開く国風文化のなかで、日本独自の絵画様式である大和絵が発達した。その代表例である『源氏物語絵巻』などの「女絵(おんなえ)」において、この引目鉤鼻の技法が確立された。

当時の貴族社会において、高貴な人物の素顔をあからさまに描くことは不作法とみなされていた。そのため、あえて個人の写実的な特徴を排除し、極限まで記号化・様式化された「引目鉤鼻」を用いることで、王朝貴族が理想とした上品で静的な美が表現された。これにより、観る者は描かれた人物に自己を投影し、物語世界へ深く没入することが可能となった。

階層社会の反映と「男絵」との対比

引目鉤鼻はすべての人物に適用されたわけではなく、主に天皇や后、貴族といった高貴な身分の人物にのみ用いられた。これに対して、庶民や僧侶、あるいは感情をむき出しにする人物を描く際には、目鼻立ちがはっきりと個性的、かつ写実的に描かれた。

この対比は、動的な展開や庶民の表情豊かな姿を描いた『信貴山縁起絵巻』や『伴大納言絵巻』に代表される「男絵(おとこえ)」と、静的な心理描写を重んじる「女絵」の違いとしても顕著である。引目鉤鼻は、平安貴族の閉ざされた洗練された生活空間と、当時の厳格な身分秩序を視覚的に象徴する表現技術であったと言える。

最終更新:
2026年8月12日 @ 22:54

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