大和絵 (やまとえ)
【概説】
平安時代中期の国風文化を背景に成立した、日本の自然風景や人々の生活風俗を主題として描かれた日本風の絵画。遣唐使の停止などを契機に、従来の中国風の絵画である「唐絵」に対比する形で誕生した。院政期から鎌倉時代にかけては、物語や歴史と結びついた絵巻物、あるいは個人の面影を写実的に捉える肖像画として目覚ましい発達を遂げた。
唐絵からの脱却と大和絵の誕生
飛鳥時代から平安時代前期にかけて、日本の絵画は中国の画題や技法に強く影響を受けた唐絵(からえ)が主流であった。しかし、9世紀末の遣唐使停止(894年)などを背景に、日本の風土や日本人の感性に合った文化を模索する国風文化が花開く。これに伴い、日本の四季の風景(名所絵・月次絵)や日本人の生活風俗を描く絵画が求められるようになった。これが「大和絵」の始まりである。初期の大和絵の成立には、平安時代前期の宮廷画家である巨勢金岡(こせのかなおか)らが大きく貢献したとされる。
貴族文化との融合と絵巻物の黄金期
平安時代中期以降、大和絵は貴族邸宅の障子や屏風を彩る障屏画として普及するとともに、仮名文字で書かれた物語文学と結びついていった。特に院政期に入ると、物語の筋書き(詞書)と絵を交互に織り交ぜた絵巻物が盛んに制作された。代表的なものとして、「吹抜屋台」や「引目鉤鼻」の技法を用いて貴族の優雅な生活や内面描写を追求した『源氏物語絵巻』や、動的な民衆の姿を生き生きと描いた『伴大納言絵詞』、『信貴山縁起絵巻』などがあり、これらは日本美術史上の傑作として高く評価されている。
武士の台頭と新境地の開拓
鎌倉時代に入ると、質実剛健な武士の気風を反映して、大和絵はより写実的でダイナミックな表現へと変容していった。戦乱の様子や武士の活躍を克明に描いた『平治物語絵詞』などの合戦絵巻が多数制作されたのはその典型である。また、個人の風貌や個性をリアルに捉える似絵(にせえ)と呼ばれる肖像画も発達し、藤原隆信・信実父子らが活躍した。この時代、神仏の霊験や寺社の由来を描いた縁起絵巻も民衆への教化目的で盛んに描かれ、大和絵は貴族から武士、そして寺社へとその享受層を広げていった。
大和絵の継承と後世への影響
室町時代に入ると、禅宗の普及に伴い中国伝来の水墨画(漢画)が画壇の主流を占めるようになる。しかし、大和絵の伝統は宮廷絵所を世襲した土佐派によって強固に守り継がれた。さらに、室町時代後期から安土桃山時代にかけて台頭した狩野派は、漢画の力強い筆法に大和絵の色彩豊かで装飾的な画面構成を融合させ、独自の画風を確立した。大和絵が培った日本の自然や風俗を慈しむ精神と豊かな色彩感覚は、その後の琳派や江戸時代の浮世絵、さらには近代の日本画に至るまで、日本美術の根底に流れる重要な水脈となっている。