テレビ(放送開始)
【概説】
1953年(昭和28年)に日本放送協会(NHK)および民間放送によって本放送が開始された画像付きの新しいマスメディア。1959年の皇太子成婚パレードや1964年の東京オリンピックを契機として各家庭に爆発的に普及し、戦後日本の大衆文化や生活様式に劇的な変化をもたらした。
テレビ放送の幕開けと街頭テレビ
日本におけるテレビジョン放送は、1953年(昭和28年)2月1日に日本放送協会(NHK)が東京地区で本放送を開始したことで幕を開けた。同年8月には、民間放送第一号となる日本テレビ放送網も本放送を開始し、国営(公共放送)と民放が競い合う放送体制が確立した。しかし、放送開始当時のテレビ受像機は非常に高価であり、一般庶民には到底手の届かない「高嶺の花」であった。
そのため初期の普及を牽引したのは、主要な駅や公園、喫茶店や銭湯などに設置された街頭テレビであった。特に、戦後日本の復興の象徴的存在でもあった力道山のプロレス中継やプロ野球中継が放送されると、画面の前に黒山の人だかりができ、熱狂的な歓声が沸き起こった。これは、テレビという新たなメディアが持つ圧倒的な求心力を社会に知らしめる最初の出来事であった。
皇太子成婚と「三種の神器」
1950年代後半、日本が神武景気などの高度経済成長期に突入すると、人々の生活水準は向上し、耐久消費財への購買欲が高まった。この時期、白黒テレビは電気洗濯機、電気冷蔵庫とともに「三種の神器」と呼ばれ、豊かさの象徴としてもてはやされた。
家庭への普及を決定的に加速させたのが、1959年(昭和34年)4月に行われた皇太子明仁親王(現在の上皇)と正田美智子の成婚パレードである。「ミッチー・ブーム」と呼ばれる社会現象のなか、この歴史的なパレードを自宅で見たいという国民の熱望がテレビ受像機の売り上げを急増させ、普及率は飛躍的に上昇した。これを機に、テレビは「街頭で群衆と見るもの」から「家庭で家族団らんの中心として楽しむもの」へと性質を変えていった。
カラー放送の開始と東京オリンピック
1960年(昭和35年)にはカラーテレビの本放送が開始されたが、当初はカラー受像機の価格が極めて高く、番組数も限られていた。この状況を打破する強力な起爆剤となったのが、1964年(昭和39年)の東京オリンピックである。世紀の世界的スポーツの祭典を色鮮やかな映像で楽しみたいという需要からカラーテレビの普及が進み、衛星中継による国際的な映像配信も実現した。
その後、いざなぎ景気に沸く1960年代後半には、カラーテレビはクーラー、カー(自動車)とともに「新三種の神器(3C)」として消費ブームの主役となり、1973年(昭和48年)頃にはカラーテレビの普及率が白黒テレビを逆転した。
大衆文化への影響と社会の変化
テレビの普及は、戦後日本の大衆文化に決定的な地殻変動をもたらした。それまで大衆娯楽の王様であった映画産業は、テレビに観客を奪われて1958年をピークに観客動員数が激減し、深刻な斜陽化に直面した。また、主な情報源であったラジオや新聞に代わり、映像を伴う速報性と強い視覚的インパクトを持つテレビが、ジャーナリズムや広告媒体(テレビCM)の頂点に立つようになった。
テレビは日本全国に同時かつ均質な情報を届けることで、国民的な共通体験や流行語を次々と生み出した。一方で、映像メディアの受動性に対する批判も存在し、評論家の大宅壮一がテレビの普及による国民の思考力低下を危惧して放った「一億総白痴化」という言葉は、メディア史に残る有名な言説となった。いずれにせよ、テレビ放送の開始と普及は、戦後の日本社会が「大衆消費社会」および「情報化社会」へと変貌を遂げる上で最も重要な原動力の一つであったと言える。