智 (ち)
【概説】
飛鳥時代の603年に制定された冠位十二階において、最下位に位置づけられた階位。儒教の徳目に基づき「大智(だいち)」と「小智(しょうち)」の2階から構成され、黒色の冠を着用することが定められた。
冠位十二階における「智」の位置づけと五行思想
推古天皇の朝廷において聖徳太子(厩戸王)や蘇我馬子らによって制定された冠位十二階は、従来の氏姓制度(氏族ごとの世襲制)から天皇を中心とした中央集権的な官僚制国家へと移行するための画期的な制度であった。この制度では、儒教の五常(仁・義・礼・智・信)に最高徳目の「徳」を加えた「徳・仁・礼・信・義・智」の6つの徳目が採用され、それぞれに「大・小」が設けられた。
最下位となった「智」は、五行思想(木・火・土・金・水)において「水」に対応し、方位では「北」、色彩では「黒色」に割り当てられた。五行説の配置上、最も沈み込む「水(北・黒)」が最下位の階位に適用されたことは、中国の宇宙観や陰陽五行説が当時の日本へ深く受容されていたことを示している。
「最下位」の階位が持つ歴史的意義
「智」は第11位の「大智」と第12位の「小智」という最下位の階位であったが、これは決して無価値な地位を意味しない。従来の氏姓制度のもとでは、出自が低い一族の者は国政に関与する道が閉ざされていた。しかし、冠位十二階の導入により、最下位の「智」であっても個人の資質や能力、功績によって朝廷から冠位を授与され、国家の官僚組織(官人)の一員として組み込まれる機会が生まれたのである。
実際に、朝鮮半島からの渡来系氏族の技術者や実務官僚などが、登用される際の出発点として、この「智」などの下位冠位が機能したと考えられている。身分保障と実力主義の融和を図る官制の萌芽が、この最下位の存在によっても担保されていた。
制度の変遷と「智」の消滅
冠位十二階における「智」の階位は、その後、大化の改新(645年)以降に次々と実施された冠位制度の刷新によって姿を消していく。647年に制定された「冠位十三階」以降は、より細分化された官位体系が構築され、儒教の徳目に基づく名称から「大織」「小織」などの冠の素材や、のちの「位階制」へとつながる構造へと変化していった。しかし、「智」を含む冠位十二階が提示した「能力に応じた序列化」という基本理念は、のちの律令制における官位相当制へと継承され、日本の官僚制の礎となった。