庶物類纂 (しょぶつるいさん)
【概説】
江戸時代中期に編纂された、動植物や鉱物に関する日本初の大規模な本草学事典。加賀藩主・前田綱紀の援助のもとで京都の学者・稲生若水が編纂を開始し、彼の死後は幕府の命により弟子の丹羽正伯らが引き継いで完成させた、東洋の文献学的博物学の集大成である。
一、本草学の興隆と加賀藩主・前田綱紀の学問奨励
江戸時代、中国から明代の薬学書である『本草綱目』などが伝来したことを契機に、自然界の動植物や鉱物を分類・研究する本草学(ほんぞうがく)が東アジアの知的トレンドとなった。本草学は単なる知的好奇心の対象にとどまらず、医療用の薬草確保や新産業の育成といった、幕藩体制の維持・強化に直結する実学としての側面を強く持っていた。
こうした中、加賀藩5代藩主の前田綱紀は学問を深く愛し、のちに「天下の書評」と称されるほどの稀代の図書コレクター・文化振興者として知られていた。綱紀は、京都の本草学者であった稲生若水(いのうじゃくすい)の才能を見出し、彼を召し抱えて経済的な援助を与えた。そして、中国の古今あらゆる文献から動植物や鉱物に関する記述を抽出し、網羅的に分類・整理するという国家規模のプロジェクトを命じた。これにより、元禄10年(1697年)に『庶物類纂』の編纂がスタートした。
二、稲生若水から丹羽正伯への継承と「享保の改革」
稲生若水は並外れた漢学の知識を駆使して文献の渉猟に努めたが、享保元年(1715年)に362巻(目録等を除く)を執筆した段階で病に倒れ、事業は未完のままとなった。しかし、この壮大な知の遺産に着目したのが、8代将軍・徳川吉宗であった。
吉宗は「享保の改革」において実学を重んじ、国内の産業振興(殖産興業)を進めるために本草学を重視していた。吉宗は若水の門人である丹羽正伯(にわしょうはく)を江戸に召し出し、幕府の事業として『庶物類纂』の編纂を継続するよう命じた。こうして加賀藩と江戸幕府による共同プロジェクトへと発展し、正伯らは約20年の歳月をかけて残りの部分を補い、元文3年(1738年)に全1000巻(本編995巻、目録5巻)に及ぶ未曾有の大百科事典として完成させた。
三、文献学的本草学の到達点とその歴史的意義
『庶物類纂』の最大の特徴は、徹底した「文献学」的なアプローチにある。日本国内の実際の自然観察に基づく貝原益軒の『大和本草』が実践的な「和本草」の先駆であったのに対し、『庶物類纂』は中国古典に現れる全ての自然界の語彙を網羅・検証することに主眼が置かれていた。これは当時の最高水準の文献データベースであり、東洋博物学の金字塔と評価できる。
本作の完成は、日本の学者たちに「自然界をいかに分類・整理するか」という学術的範を示し、のちの平賀源内や小野蘭山らによる、より実証的で近代的な日本の博物学(本草学)の開花に決定的な影響を与えることとなった。