蔵米 (くらまい)
【概説】
江戸時代に幕府や諸藩が年貢として徴収し、自らの蔵に収納した米のこと。知行地を持たない旗本・御家人や藩士らに対して、給与(俸禄)として支給された。のちには貨幣経済の進展に伴い、都市の市場で換金され流通する主要な商品となった。
地方知行から蔵米知行への移行と武士の官僚化
江戸幕府や諸藩における家臣への給与形態には、特定の領地(知行地)を与えてそこからの年貢徴収権を認める「地方知行(じかちぎょう)」と、主君の蔵に納められた年貢米を支給する「蔵米知行(くらまいちぎょう)」の2種類が存在した。将軍直属の家臣団である旗本や御家人のうち、およそ9割は知行地を持たない蔵米取(くらまいとり)であり、諸藩においても中・下級武士の多くがこれに該当した。
江戸時代初期には上級武士を中心に地方知行が残されていたが、兵農分離の徹底や大名権力の強化(集権化)が進むにつれて、家臣の領地を没収して一括管理し、蔵米を支給する方式へと移行する藩が増加した。これにより、武士は土地や農民から完全に切り離されて城下町に居住する俸禄生活者となり、独自の領主権を失って組織的な「官僚」としての性格を強めていくこととなった。
蔵米の流通と札差・蔵屋敷の展開
武士は支給された蔵米を主食とするだけでなく、日常生活に必要な物品やサービスを購入するために、米を貨幣(金銀)に換金する必要があった。江戸においては、幕府の浅草御蔵から給与としての蔵米(切米や扶持米)を代理受領し、それを売却して武士に現金を渡す札差(ふださし)と呼ばれる米価両替商が活躍した。生活の維持を蔵米の換金に依存する武士に対し、札差は次第に高利の融資を行う金融業者としての地位を確立し、武士の困窮とは対照的に莫大な富を蓄積した。
一方、諸藩も領内から集めた蔵米を「天下の台所」と称された大坂などの巨大市場へ送り、現地の自藩の蔵屋敷(くらやしき)に保管して売却した。この蔵米の売却や代金管理、さらには藩財政の融資までを一手に引き受けたのが、蔵元(くらもと)や掛屋(かけや)と呼ばれる豪商たちである。このように、武士の給与であった蔵米の換金プロセスは、江戸時代中期以降の日本における広域的な商品経済・金融制度の発達を牽引する最大の動力源となった。