畠山持国 (はたけやまもちくに)
1398年〜1455年
【概説】
室町時代中期の武将・守護大名であり、室町幕府の管領を務めた人物。嘉吉の乱後の混乱期に幕政を主導したが、後継者をめぐるお家騒動を引き起こした。この畠山氏の家督争いは、のちの応仁の乱を誘発する直接的な原因の一つとなった。
嘉吉の乱後の幕政主導と「徳政」への対応
畠山持国は、室町幕府の有力守護大名である畠山満家の子として生まれた。6代将軍足利義教が嘉吉の乱(1441年)で暗殺された後、幼少の将軍(7代義勝、8代義政)が相次いで擁立されるなかで管領に就任し、幕政の実権を握った。義教の専制政治によって動揺した幕府政治の立て直しを図る一方、当時頻発していた土一揆による徳政要求に対しては、徳政令の発布や一揆の鎮圧など、妥協と強硬姿勢を使い分けながら幕府権威の維持に腐心した。
家督継承問題の迷走と「応仁の乱」への予兆
持国には当初実子がおらず、弟の畠山持富を後継者(嗣子)として定めていた。しかし、のちに庶子(実子)である畠山義就が誕生すると、持国は義就を溺愛し、彼に家督を譲ろうと画策する。これに反発する守護代の遊佐氏ら有力家臣団は、持富やその息子の畠山政長を支持し、畠山家は真っ二つに分裂して激しい武力衝突(畠山お家騒動)に至った。持国は将軍・足利義政を巻き込んで義就の正統性を認めさせようとしたが、この対立は斯波氏の家督争いや将軍家の後継問題と複雑に絡み合い、最終的に1467年に勃発する応仁の乱の直接的な引き金となった。