日本(国号)

重要度
★★★

日本(国号)

7世紀後半 – 8世紀初頭

【概説】
7世紀後半から8世紀初頭にかけて、「倭」に代わって公式に定められた我が国の国号。白村江の戦い後の対外危機のなかで、律令国家の形成や天皇号の成立と並行して制定されたものである。中国を中心とする東アジアの国際秩序において、独立した国家としての意識を対外的に示す重要な意義を持っていた。

「倭」から「日本」への転換

古くから中国の史書において、日本列島の国家や人々は「倭」や「倭国」と呼ばれていた。これは中華思想に基づく中国側からの他称であり、周辺の異民族を見下すようなニュアンスを含んでいたとされる。ヤマト王権が国内の統一を進めるなかでも、対外的には「倭の五王」に代表されるように長らく「倭王」を称し、中国の冊封体制下に入っていた。しかし、7世紀後半に至り、国家体制の整備が進むにつれて、自らの国を指す固有の自称としての新たな国号が必要とされるようになった。

白村江の戦いと国家意識の覚醒

国号変更の直接的な契機となったのは、東アジア情勢の激変である。663年の白村江の戦いにおいて唐・新羅の連合軍に大敗した倭国は、国家存亡の危機に直面した。天智天皇・天武天皇・持統天皇の時代を通じて、唐の侵攻に備えるための防衛体制の構築と、強力な中央集権国家の建設が急務となった。672年の壬申の乱を経て権力を集中させた天武天皇の時代には、飛鳥浄御原令の編纂が進められるなど、律令国家の形成が本格化した。この国家立て直しの過程で、確固たる主権国家としての自立性を示すべく、新たな国号の制定が模索されたのである。

「日本」の由来と中国史書における記述

「日本」という名称は、「日の本」すなわち「太陽の昇る東の国」を意味する。これは、推古天皇の時代に聖徳太子(厩戸王)が隋の煬帝に宛てた国書における「日出づる処」という表現にも見られるように、中国大陸から見て東方に位置するという地理的意識に基づいている。中国の正史である『旧唐書』東夷伝には、倭国が自らの名が優雅でないことを嫌い、「日本」と改めたこと、あるいは日本という小国が倭国を併合したなどと記されている。実際に中国側に「日本」という国号が公式に認知されたのは、702年に派遣された第八次遣唐使(執節使・粟田真人ら)によるものが最初であると考えられている。当時、唐(武周)の則天武后の朝廷において、新たな国号が正式に伝えられた。

「天皇」号の成立と大宝律令による確定

国号の変更は、従来の「大王(おおきみ)」に代わる「天皇」という君主号の成立と表裏一体の出来事であった。天武・持統朝にかけて天皇号が成立し、中国の「皇帝」と対等な存在であるという強い自立意識が示された。そして、701年(大宝元年)に制定された大宝律令において、「日本」という国号が法的に明文化され、名実ともに新たな国家体制が完成した。このように、「日本」という国号の誕生は単なる名称の変更にとどまらず、古代日本の国家が東アジアの国際社会において独立した律令国家として歩み始めたことを象徴する、極めて重要な歴史的画期であったといえる。

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日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令制において、課税の基準として分けられた成年男子(21〜60歳)、障害を持つ者、61〜65歳の男子などをそれぞれ何というか?
Q. 大化の改新以降、大宝律令によって「郡(ぐん)」という表記に統一される前に用いられていた地方行政の区画を何というか?
A.
Q. 青銅器時代に続いて、より硬く実用的な鉄が農具や武器として広く普及した時代を何というか?