自由党(昭和時代)

戦後から吉田茂のもとで政権を担ってきたが、1955年の保守合同によって日本民主党と合流した政党は何か?
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重要度
★★

自由党(昭和時代) (じゆうとう)

1950年〜1955年

【概説】
第二次世界大戦後の日本において、吉田茂首相を中心に結成された代表的な保守政党。連合国軍総司令部(GHQ)の占領下から主権回復期にかけて長期政権を維持し、戦後日本の外交・経済の骨格を形成した。のちに日本民主党と合同して自由民主党となり、いわゆる「55年体制」を創出する直接の母体となった。

結成の背景と吉田ワンマン政権の確立

1950年3月、当時の与党であった民主自由党と、野党の民主党連立派が合同して「自由党」が結成された。総裁には首相の吉田茂が就任した。この時期の日本は、冷戦の激化や朝鮮戦争の勃発という国際情勢の激変期にあり、吉田茂率いる自由党はアメリカとの緊密な連携を選択。1951年にはサンフランシスコ平和条約および日米安全保障条約を締結し、日本の主権回復と西側陣営への参入を成し遂げた。

吉田は、池田勇人や佐藤栄作をはじめとする優秀な官僚出身者を政界に抜擢し、これらは後に「吉田学校」と呼ばれ、戦後日本の保守政治を主導する「保守本流」の源流となった。自由党は、軽軍備と経済復興を最優先する実利的な路線を推進し、戦後日本の高度経済成長への足がかりを築いた。

党内対立と保守合同による「55年体制」の創出

主権回復後、公職追放から解除された鳩山一郎や石橋湛山らが自由党に復帰すると、自主憲法制定や再軍備を唱える鳩山ら「党人派」と、軽軍備・経済重視を掲げる吉田ら「官僚派」との間で深刻な対立が生じた。1953年の「バカヤロー解散」や、1954年の造船疑獄事件などを経て国民の不満が高まると、鳩山派は離党して日本民主党を結成し、吉田総理を退陣に追い込んだ。

一方、革新陣営では1955年10月に左右の日本社会党が再統一を果たし、政権獲得をうかがう勢力となった。これに危機感を募らせた財界の強い要望もあり、保守勢力の結集が急がれることとなった。同年11月、自由党はライバル関係にあった日本民主党と合同(保守合同)し、新たに自由民主党(自民党)が誕生した。これにより、政権を担当する自由民主党と、憲法改正阻止を掲げる第一野党の日本社会党が対峙する、いわゆる「55年体制」と呼ばれる戦後日本の二大政党対立構図が確立した。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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