緒方竹虎

吉田茂のあとに自由党総裁となり、日本社会党の再統一に危機感を抱いて日本民主党との保守合同に尽力した人物は誰か?
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【参考リンク】
緒方竹虎(Wikipedia)

緒方竹虎 (おがたたけとら)

1888年~1956年

【概説】
戦前はジャーナリストとして活躍し、戦後は自由党総裁として保守合同を主導した政治家。鳩山一郎率いる日本民主党との合同を成し遂げ、自由民主党の結成と「55年体制」の成立に決定的な役割を果たした。

ジャーナリストから政界への転身

緒方竹虎は、戦前において朝日新聞社の主筆や副社長を務めた一線級のジャーナリストであった。しかし、太平洋戦争期に東条英機内閣の内閣顧問や、小磯国昭内閣の情報局総裁兼国務大臣を歴任したことで、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)により公職追放処分を受けた。追放解除後の1952年に衆議院議員として政界入りを果たすと、その卓越した調整能力を買われ、第4次・第5次吉田茂内閣で内閣官房長官や副総理などの要職を歴任し、吉田首相の有力な後継候補と目されるようになった。

保守合同の推進と55年体制の確立

1954年末に吉田内閣が退陣すると、緒方は後任の自由党総裁に就任した。当時、革新陣営である左右社会党の再統一に対抗するため、保守勢力の結集が急務となっていた。緒方は、分立していた日本民主党(総裁・鳩山一郎)との間で粘り強い交渉を行い、1955年11月の保守合同による自由民主党の結成を実現させた。これにより、自民党と社会党が対峙する、その後の日本政治の骨格たる「55年体制」が確立された。緒方は自民党の初代総裁候補の筆頭とされたが、結党翌年の1956年1月に急逝した。

「社共合同」の時代 戦後革命運動史再考

社会党と共産党が共闘した激動の時代を追い、戦後日本における革命運動の軌跡を冷徹に再考した一冊。

戦後保守党史 (岩波現代文庫 社会 131)

政権を維持し続けた保守党の変遷を辿り、権力闘争と組織の論理から戦後政治の深層を解き明かす書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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