緒方竹虎 (おがたたけとら)
1888年~1956年
【概説】
戦前はジャーナリストとして活躍し、戦後は自由党総裁として保守合同を主導した政治家。鳩山一郎率いる日本民主党との合同を成し遂げ、自由民主党の結成と「55年体制」の成立に決定的な役割を果たした。
ジャーナリストから政界への転身
緒方竹虎は、戦前において朝日新聞社の主筆や副社長を務めた一線級のジャーナリストであった。しかし、太平洋戦争期に東条英機内閣の内閣顧問や、小磯国昭内閣の情報局総裁兼国務大臣を歴任したことで、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)により公職追放処分を受けた。追放解除後の1952年に衆議院議員として政界入りを果たすと、その卓越した調整能力を買われ、第4次・第5次吉田茂内閣で内閣官房長官や副総理などの要職を歴任し、吉田首相の有力な後継候補と目されるようになった。
保守合同の推進と55年体制の確立
1954年末に吉田内閣が退陣すると、緒方は後任の自由党総裁に就任した。当時、革新陣営である左右社会党の再統一に対抗するため、保守勢力の結集が急務となっていた。緒方は、分立していた日本民主党(総裁・鳩山一郎)との間で粘り強い交渉を行い、1955年11月の保守合同による自由民主党の結成を実現させた。これにより、自民党と社会党が対峙する、その後の日本政治の骨格たる「55年体制」が確立された。緒方は自民党の初代総裁候補の筆頭とされたが、結党翌年の1956年1月に急逝した。