盂蘭盆会

旧暦の7月13日から16日頃にかけて行われる、祖先の霊を家に迎えて供養する仏教行事(お盆)の正式名称は何か?
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重要度
★★

【参考リンク】
盂蘭盆会(Wikipedia)

盂蘭盆会

【概説】
旧暦の7月15日を中心に、祖先の霊を現世に迎えて供養を行う仏教行事。一般に「お盆」として知られ、日本古来の祖霊信仰と仏教が融合して独自に発達した。江戸時代には、幕府の政策や庶民文化の隆盛に伴い、階層を問わない重要な年中行事として広く定着した。

古代・中世における受容と変遷

盂蘭盆会の起源は、地獄(餓鬼道)に落ちた母親を救うために釈迦の弟子である目連が供養を行ったという『盂蘭盆経』の説話に由来する。日本においては、古代の推古天皇14年(606年)に初めて営まれたと『日本書紀』に記されており、斉明天皇5年(659年)には諸寺で『盂蘭盆経』を講じさせたという記録が残る。当初は天皇や貴族、大寺院を中心とする国家的な、あるいは特権階級の行事であった。

鎌倉時代から室町時代にかけて、禅宗の伝播や「施餓鬼(せがき)」信仰の広がりとともに、この行事は地方の武士や知識層、さらには一般庶民へと浸透し始める。この過程で、日本古来の「夏に先祖の霊(祖霊)が帰ってくる」という農耕儀礼的な信仰と、仏教の盂蘭盆会が結びつき、独自の行事としての基礎が形作られていった。

檀家制度と江戸時代における「お盆」の庶民化

江戸時代に入ると、盂蘭盆会は爆発的な広がりを見せ、名実ともに国民的な年中行事となった。その最大の契機となったのが、江戸幕府がキリシタン禁制の徹底などを目的として整備した寺請制度(檀家制度)である。すべての庶民がいずれかの仏教寺院の「檀家(檀徒)」となることを義務付けられた結果、各家庭で先祖代々の法要(追善供養)を行うことが宗教的・社会的な義務となった。

これにより、毎年夏に先祖の霊を家に迎え、僧侶を招いて経を読んでもらい(棚経)、再び送り出すという「お盆」の一連の儀礼が、全国の農村や都市の家々に定着した。また、精霊馬(ナスやキュウリで作る乗り物)や、霊を迎えるための「迎え火」、送り出すための「送り火」といった、今日に伝わる具体的な風習もこの時期に様式化された。

年中行事としての社会的機能と「盆踊り」の発展

江戸時代の盂蘭盆会は、単なる宗教行事にとどまらず、社会的なサイクルや娯楽とも深く結びついていた。商家や武家で働く奉公人が、実家に帰省することを許される年2回の休日のひとつが、お盆の時期にあたる7月16日前後の「藪入り(やぶいり)」であった。この時期、人々は一時的に労働から解放され、家族との再会や祖先への参拝を果たした。

さらに、お盆の時期に行われる「盆踊り」は、先祖の霊を慰める(鎮魂・送霊)という宗教的な意味を持ちつつも、地域社会における最大の「大衆娯楽」へと変貌を遂げた。太鼓や唄に合わせて老若男女が夜を徹して踊る盆踊りは、階級や世代を超えた地域コミュニティの結びつきを強める重要な機会となり、江戸時代における庶民文化の黄金期を彩る風物詩となったのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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