生糸(白糸)

日明貿易における日本の主な輸入品で、高級な絹織物の原料となるものは何か?
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生糸(白糸)

【概説】
日明貿易(勘合貿易)において、日本が明から大量に輸入した高級な絹織物の原料。当時の日本では生産できない高品質な糸であり、国内の高級織物需要を支えるとともに、日本の染織技術の発展に大きく貢献した交易品である。

日明貿易における最重要輸入品

室町幕府の第3代将軍・足利義満によって開始された日明貿易(勘合貿易)において、日本の主な輸出品は刀剣、銅、硫黄、扇子などの工芸品や鉱物資源であった。一方、明からの主な輸入品は、銅銭(永楽通宝などの明銭)、陶磁器、書画、薬種、そして生糸(白糸)や高級織物である。なかでも生糸は、当時の日本において極めて高い需要があり、莫大な利益をもたらす商品として、幕府や大内氏・細川氏といった有力守護大名、さらには堺や博多の豪商たちがこぞって買い付けを求めた。

明産生糸が求められた背景

当時の日本でも養蚕や絹糸の生産自体は行われていたが、その品質は総じて粗悪であった。高級な絹織物を織るための、細くて白く、美しい光沢を持った上質な生糸を国内で十分に供給することは技術的に不可能であった。一方、中国大陸では古くから養蚕業が発達しており、明代には江南地方を中心に高品質な生糸が大量に生産されていた。

室町時代に入り、武家社会の成熟や公家文化・禅宗文化との融合が進むと、上流階級の間で高級な衣服に対する需要が急増した。そのため、豪奢な絹織物の材料として欠かせない明産の上質な生糸は、日本市場において圧倒的な付加価値を持つ商品となっていたのである。

国内産業への波及と西陣織の誕生

明から大量に輸入された上質な生糸は、国内の絹織物産業に劇的な発展をもたらした。中国由来の高度な機織り技術が伝来したことと相まって、国内の職人たちは輸入生糸を原料とし、これまで日本にはなかった美麗な紋織物などを生産するようになった。

とくに京都では、応仁の乱の後に西軍の陣地跡に織物職人が集住して織物産業を復興させた。これが現在に続く西陣織の起源である。明産の生糸は単なる消費財にとどまらず、日本の染織技術を飛躍的に向上させ、後の伝統産業の基盤を築くという重要な歴史的役割を果たした。

その後の対外貿易を規定した「白糸」

戦国時代に入り日明貿易が途絶してからも、日本の生糸需要が衰えることはなかった。16世紀半ばにポルトガル人らが来航して南蛮貿易が始まると、彼らはマカオを拠点に中国産生糸を日本へ持ち込む中継貿易を行い、莫大な利益を上げた。この上質な中国産生糸を指して「白糸(しらいと)」という呼称が定着したのもこの時期である。

江戸時代初期には、ポルトガル商人による白糸の価格吊り上げに対抗するため、江戸幕府が特定の商人間に購入を統制する糸割符制度(1604年)を導入することになる。このように、室町時代に輸入が本格化した生糸(白糸)への渇望は、中世から近世にかけての日本の対外貿易のあり方や、為政者の商業統制政策を左右する最重要のファクターであり続けたのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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