サンデー毎日

高校日本史的重要度
★★

サンデー毎日

1922年〜

【概説】
1922(大正11)年に大阪毎日新聞社(現在の毎日新聞社)によって創刊された、日本最初期の週刊誌。競合する『週刊朝日』と並んで大衆総合週刊誌の先駆けとなり、大正期における大衆文化の興隆を象徴する活字メディアである。

大正デモクラシーと大衆消費社会の到来

大正期から昭和初期にかけての日本は、第一次世界大戦後の好景気を経て、都市化が急速に進展した時代であった。この時期、工場労働者や「サラリーマン」と呼ばれる都市中間層(新中間層)が台頭し、彼らの教育水準の向上にともなって活字メディアに対する需要が爆発的に高まった。

このような大衆社会の形成と大正デモクラシーの世論を背景に、新聞社は従来の「日刊紙」だけでは満たしきれない、よりカジュアルで娯楽性の高い読み物を求める読者層を開拓し始めた。そこで誕生したのが、週に1回刊行され、家庭や通勤途中で手軽に読める「週刊誌」という新しいメディア形態であった。

『週刊朝日』との激しい競争と誌面の刷新

1922年2月、大阪朝日新聞社が『旬刊朝日』(のちに『週刊朝日』へと改称)を創刊すると、これに強く対抗した大阪毎日新聞社は、わずか2ヶ月後の同年4月に『サンデー毎日』を創刊した。この両誌による熾烈な販売・企画競争は、日本の出版ジャーナリズムを大きく活性化させることとなった。

『サンデー毎日』は、ニュースの解説にとどまらず、文芸作品、大衆小説、実用記事、社会風刺、グラビアなど多岐にわたるコンテンツを掲載した。特に、当時の著名な作家による連載小説や、知識人による時事論評は広く親しまれ、知的娯楽を通じた大衆文化の形成に決定的な役割を果たした。戦後も大学合格者数の特集などで独自の存在感を示し続け、2023年の『週刊朝日』休刊後は、現存する日本最古の週刊誌としてその歴史を繋いでいる。

最終更新:
2026年9月19日 @ 16:31

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1898年、第1次大隈重信内閣(隈板内閣)の文部大臣・尾崎行雄が、「日本にもし共和制が敷かれたら」という仮定の演説を行い、辞職に追い込まれた事件は何か?
Q. 古墳時代に渡来人によって技術革新がもたらされ、織機を用いて絹や麻などの布を作る作業を何というか?
Q. 縄文時代の6区分のうち、草創期に次ぐ2番目の時期を何というか?