古道 (こどう)
【概説】
仏教や儒教などの外来思想が日本に伝来する以前の、日本古来の純粋で自然な精神やあり方のこと。江戸時代中期に興った国学において究極の探究対象とされ、のちの幕末の尊王攘夷運動や神仏分離政策にも決定的な影響を与えた思想概念である。
国学の勃興と「古道」の提唱
江戸時代、幕府が教学として保護した朱子学(儒教)や、社会に深く浸透していた仏教に対し、それらによる解釈が入る前の日本独自の古典(『万葉集』や『古事記』『日本書紀』など)を実証的に研究しようとする学問、すなわち国学が誕生した。国学の祖とされる契沖の文献学的手法を引き継いだ賀茂真淵は、古代の万葉歌人の歌風に宿る、実直で力強い精神を「高直(たかなお)の心」や「ますらをぶり」と呼び、これこそが外来思想に汚染されていない日本古来の純粋な精神の現れであるとして、「古道」の探予を本格化させた。
本居宣長による「古道」の体系化と「漢意」の排除
真淵の教えを受けた本居宣長にいたり、「古道」の思想は学問的に体系化された。宣長は30年以上の歳月をかけて『古事記』を注釈した『古事記伝』を著し、神話の時代に生きた人々のありのままの生き方や、人為的な教えに縛られない自然な情動(「もののあわれ」)の中に、真の古道を見出した。宣長は、善悪の基準を厳格に当てはめる儒教的な合理主義や道徳観を「漢意(からごころ)」として徹底的に批判し、人間の知恵では計り知れない神の計らい(神のしわざ)をそのまま受け入れることこそが、日本人が本来持っていた「古道」の本質であると説いた。
復古神道への変容と幕末・維新期への影響
宣長における「古道」は、人間の内面や古典研究という学問的な領域に留まる傾向が強かったが、彼の没後にその思想を継承した平田篤胤は、これを極めて宗教的・政治的な運動へと変容させた。篤胤は「古道」を、万国の長たる日本(神国)の優位性を証明する真理の教えとして体系化し、これが復古神道(平田国学)と呼ばれる一大勢力となった。この思想は幕末期、地方の豪農や草莽の志士たちに深く受容され、天皇を中心とした秩序への回帰を促す尊王攘夷運動を思想的に支える強力な原動力となった。さらに、明治維新直後の神仏分離や廃仏毀釈、国家神道の形成といった国家組織の改編にも多大な道筋をつけることとなった。