春慶塗 (しゅんけいぬり)
17世紀初頭~
【概説】
木目の美しさをそのまま活かすため、木地に黄や赤の着色を施した上で透明な漆を塗る日本独自の漆工技法、およびその漆器。江戸時代に飛騨高山(岐阜県)や能代(秋田県)などで藩の産業振興策と結びついて量産され、地方を代表する特産品として全国に普及した。
「透き漆」がもたらす木目の美と技法の特徴
春慶塗の最大の特徴は、一般的な漆器が下地を厚く塗って木目を完全に覆い隠すのに対し、木肌の自然な美しさを前面に押し出す点にある。この技法では、まずヒノキやサワラ、トチノキなどの木地に、黄色(クチナシや黄檗など)や赤色(ベンガラなど)の染料で着色を施す。その上に、水分を抜いて透明度を極限まで高めた透き漆(素漆)を薄く均一に塗り重ねることで、漆の塗膜を通して美しい木目が浮き上がる独特の視覚効果を生み出している。この技術は、高度な木工技術(曲物や指物)と、洗練された漆塗りの技術が融合することによって初めて実現したものであった。
江戸時代の藩政改革と地方特産品の展開
春慶塗の起源には諸説あるが、室町時代の漆工・春慶の創始とする説や、慶長年間(17世紀初頭)に飛騨高山の高山城主・金森可重の領内で創始されたとする説が有力である。江戸時代に入ると、幕藩体制のもとで各地の諸大名は財政難を克服するため、自領の特産品を育成する産業振興(殖産興業)に力を注いだ。飛騨高山(後の幕府天領)の「飛騨春慶」や、久保田藩(秋田藩)領内の「能代春慶」などは、良質な木材資源が豊富であった地理的背景も手伝って保護を受け、名産品としての地位を確立した。これらは、江戸や大坂といった大都市の消費市場へと送られ、庶民の日常の食器や茶道具、文房具として広く愛用されるようになり、近世における地方の経済自立と全国的な商品流通の活性化を支える一翼を担った。