日向 (古代)
【概説】
現在の宮崎県(および鹿児島県の一部)に相当する、古代の南九州に位置した旧国名。日本最大級の群集墳である西都原古墳群を擁し、記紀神話においては天孫降臨や神武東征の舞台として描かれる大王家(皇室)の精神的なルーツとされる地。
西都原古墳群と日向の古墳文化
日向地方を代表する遺跡が、現在の宮崎県西都市に広がる西都原(さいとばる)古墳群である。4世紀から6世紀にかけて築造された300基以上の古墳が一堂に会するこの地は、当時の日向に畿内のヤマト政権(大和朝廷)に匹敵する、あるいは密接に結びついた強力な地方豪族が存在したことを示している。
特に、日本最大級の帆立貝形古墳である男狭穂塚(おさほづか)や、九州最大級の前方後円墳である女狭穂塚(めさほづか)は、畿内の大王墓にも匹敵する規模を誇る。これらの存在は、日向の勢力が単なる地方豪族にとどまらず、海上交通路の要衝を握る存在としてヤマト政権から極めて重視されていた証左である。
天孫降臨と大王家(ヤマト政権)の神話的出自
『古事記』や『日本書紀』において、日向は特別な聖地として位置づけられている。天照大神の孫であるニニギノミコトが降臨した「天孫降臨」の地は日向の高千穂(たかちほ)とされ、ここから初代天皇とされる神武天皇の東征(神武東征)が始まる。すなわち、天皇家(大王家)の始祖伝説は、畿内ではなくこの日向の地から出発しているのである。
こうした神話が形成された背景には、ヤマト政権が南九州の強大な軍事力を取り込むための政治的妥協や、古くから日向地方とヤマト政権との間に緊密な婚姻関係・同盟関係が存在した歴史的実態が投影されていると考えられている。神話を通じて日向は大王家の権威を権力的に補強する、精神的な故郷としての役割を与えられた。
「隼人」の平定と律令制下の再編
古代の日向地方を含む南九州には、独自の文化や言語を持つ熊襲(くまそ)や隼人(はやと)と呼ばれる人々が居住しており、ヤマト政権の支配にしばしば抵抗した。ヤマト政権は日向国を拠点としてこれら南九州の平定を進め、7世紀末から8世紀初頭にかけて律令制支配を浸透させていった。
和銅6年(713年)には日向国から大隅国が分立し、さらにこれに先立つ大宝2年(702年)には薩摩国が分立するなど、日向は南九州統治の先駆的な拠点としての役割を果たした。律令国家による支配が完了すると、日向の隼人たちは朝廷に帰属し、宮廷の警護や芸能の奉仕を通じて、独自の文化を都へともたらすこととなった。