徳川重好 (とくがわしげよし)
1745年 – 1795年
【概説】
江戸時代中期の徳川一門の構成員であり、9代将軍徳川家重の次男。将軍家の血統を維持するために創設された「御三卿」の一つである、清水徳川家の初代当主。
清水徳川家の創設と「御三卿」の完成
徳川重好は、延享2年(1745年)、9代将軍・徳川家重の次男として生まれた。兄にはのちに10代将軍となる徳川家治がいる。当時の幕府は、8代将軍・徳川吉宗の意向により、将軍家に後嗣が絶えた際に一門から後継者を出すための防波堤として、新たな家系(のちの御三卿)の整備を進めていた。吉宗の時代にはすでに、吉宗の次男・宗武による田安家、四男・宗尹による一橋家が成立していたが、宝暦8年(1758年)に重好が江戸城清水門内に邸宅を与えられたことで、最後のピースとなる清水徳川家が創設された。重好が清水家を興したことにより、徳川将軍家を補佐・補完する御三卿の体制がここに完成したのである。
後嗣問題と清水家の命運
初代当主となった重好であったが、正室との間に男子が育たず、清水家の後継者問題に直面することとなった。重好自身は寛政7年(1795年)に51歳で死去したが、実子がいなかったため、一時は当主が不在となり清水家は幕府管理(明屋敷)に置かれた。その後、11代将軍・徳川家斉の子供たちが順次清水家を継ぐことで存続したが、御三卿の他2家(田安家・一橋家)がのちに将軍(松平定信の出自である田安家、11代家斉や15代慶喜を出した一橋家)を輩出したのに対し、清水家から将軍が誕生することはなかった。しかし、重好から始まる清水家の存在は、徳川宗家を中心とする血族支配の安定化に寄与したという点で、幕藩体制において一定の歴史的意義を有している。