居留地

日米修好通商条約などにより、開港場において外国人が自由に家を借り、営業や居住することが認められた区域を何というか?
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★★★

居留地

1859年〜1899年

【概説】
安政五カ国条約などの不平等条約に基づき、日本の開港場において外国人が自由に居住し、営業活動を行うことが認められた特別区域。治外法権が適用されたため日本の行政権が及ばない空間であったが、同時に西洋文明の直接的な窓口となり、日本の近代化に多大な影響を与えた。

居留地の設置と特異な法的性格

1858(安政5)年に江戸幕府が締結した安政五カ国条約により、箱館・神奈川(後に横浜に変更)・長崎・兵庫(後に神戸に変更)・新潟の5港の開港と、江戸・大坂の開市が定められた。これに伴い、外国人が一定の区域内で土地を借り受け(永代借地権)、家屋や倉庫を建てて商館や領事館を構えることが許可された。これが居留地(外国人居留地)である。1859年の横浜・長崎・箱館の開港を皮切りに順次設置されていった。

居留地における最大の問題は、外国人に領事裁判権(治外法権)が認められていた点である。居留地内は日本の警察権や行政権が完全には及ばず、外国人は自国の領事による管轄を受けた。さらに、横浜や長崎などでは居留外国人によって「居留地会議」などの自治組織が結成され、道路や下水道の整備、警察・消防業務などを独自に行うようになった。日本国内にありながら実質的な外国の租界のような状態となっており、国家主権を著しく侵害するものであった。なお、外国人の行動範囲は居留地から周囲10里(約40キロ)以内の遊歩区域に制限されていた。

居留地貿易の展開と日本経済への影響

居留地は、幕末から明治時代前期にかけての日本経済における最大のハブであった。外国商人は居留地内に商館を構え、日本の商人(売込商や引取商と呼ばれる特権商人)を通して貿易を行った。これを居留地貿易と呼ぶ。

当時、外国人が日本国内を自由に移動して直接取引することは禁じられていたため、居留地は輸出入の唯一の接点となった。日本の商人は、地方から集めた生糸や茶を居留地の外国商人に売り込み、逆に外国商人が持ち込んだイギリス製の綿織物や毛織物、武器や艦船などを買い取って国内に流通させた。外国商人は豊富な資金力を背景に、日本の商人に前貸しを行うなど圧倒的に優位な立場に立ち、莫大な利益を上げる者も少なくなかった。しかし同時に、この貿易を通じて日本は世界市場へと組み込まれ、資本主義経済の基礎を学ぶこととなった。

文明開化の発信地としての役割

政治的・経済的な不平等の一方で、居留地は西洋の近代文化や技術が日本に流入する最前線のショーウィンドウとしての役割を果たした。居留地内にはレンガ造りやコロニアル様式の西洋建築(異人館)が立ち並び、ガス灯が灯され、舗装された道路や近代的な都市計画が持ち込まれた。

また、西洋人の生活様式に付随して、パンや牛肉、ビールなどの新しい食文化、写真術、西洋医学、洋服、さらには野球やボートといった近代スポーツが伝来した。キリスト教の布教拠点にもなり、教会やミッションスクールが建設されたほか、居留地の外国人向けに発行された英字新聞は、のちの日本の近代ジャーナリズムの形成に大きな刺激を与えた。日本の知識人や若者たちは、居留地を通じて直接西洋の「文明開化」の息吹に触れ、近代化のモデルとして吸収していったのである。

条約改正と居留地の廃止

明治政府にとって、国家主権を制限する居留地の撤廃は、不平等条約改正という悲願の最重要課題の一つであった。政府は欧化政策を推進し、近代的な法典の編纂や司法制度の整備を急ぐことで、西洋列強に対して対等な文明国であることをアピールし続けた。

その努力が実を結び、1894(明治27)年に陸奥宗光外務大臣のもとで日英通商航海条約が調印され、領事裁判権の撤廃が合意された。この条約が1899(明治32)年に発効したことに伴い、外国人が日本国内のどこにでも自由に居住・移動し、営業できる内地雑居が認められた。これにより、日本国内における外国人の特権的区域であった居留地は廃止され、日本の一般行政区画に編入されて日本の法律と行政権の下に置かれることとなった。ただし、外国人が居留地時代に取得していた「永代借地権」は既得権として保護され続け、日本政府がこれを完全に回収・解消できたのは、昭和に入った1942(昭和17)年のことであった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1945年12月に行われ、女性の参政権を認めるとともに選挙権年齢を20歳に引き下げた法律の改正は何か?
Q. イギリスやフランスなどが、本国と植民地との間の関税を安くする一方で、域外からの輸入品には高関税をかけて市場を排他的に囲い込んだ経済体制を何というか?
Q. 下関条約において、日本が清国内での商業活動を拡大するために新しく開港・開市させた4つの都市をすべて挙げよ。