小川笙船 (おがわしょうせん)
1672〜1760年
【概説】
江戸時代中期の町医者であり、貧民救済のための施療院「小石川養生所」の設立を提言した人物。徳川吉宗が設置した目安箱に投書を行い、医療を受けられない貧困層のための無料施設の必要性を訴えた。この提言が採用されたことで、江戸の社会福祉政策が大きく前進することとなった。
目安箱への投書と小石川養生所の設立
江戸幕府の8代将軍である徳川吉宗は、享保の改革において庶民の意見を広く政道に反映させるため、1721年に目安箱を設置した。江戸の町医者であった小川笙船は、日頃から貧困のために薬を買えず、治療も受けられないまま命を落としていく多くの庶民を目の当たりにしていた。そこで笙船は、貧民を対象とした無料の療養施設(寄合薬所)の設立を求める嘆願書を目安箱へ投じた。
吉宗はこの提案を極めて実用的で有意義なものと評価し、町奉行の大岡忠相に命じて速やかに施療所の開設を準備させた。こうして1722年(享保7年)、小石川の幕府御薬園(現・東京大学大学院理学系研究科附属植物園)の中に小石川養生所が設立され、生活困窮者への無料医療が開始された。
養生所の運営と社会政策としての意義
小川笙船は自ら小石川養生所の実務責任者(肝煎)に就任し、息子の顕道らとともに貧民の治療と看病に生涯を捧げた。設立当初の養生所は、庶民から「幕府が薬の治験(人体実験)を行う場所ではないか」と疑われ敬遠されることもあったが、笙船らの真摯で献身的な医療活動によって次第に江戸の人々から絶大な信頼を寄せられるようになった。
この養生所の設立は、幕府が単なる治安維持にとどまらず、庶民の福祉や救済に直接関与した画期的な事例であった。笙船の投げかけた一通の投書から始まったこの取り組みは、江戸時代における社会保障政策の先駆として、明治維新によって廃止されるまで140年以上にわたり多くの人々を救い続けた。