実学 (じつがく)
【概説】
江戸時代において重視されるようになった、実際の生活や社会の役に立つ実用的な学問の総称。空理空論を尊ぶ儒教(朱子学)などの「虚学」に対置され、医学、天文学、農学、本草学、測量学などがこれに該当する。現実の課題解決や産業の発展、さらには幕藩体制の維持を支える科学的・実証的なアプローチとして台頭した。
朱子学への批判と「実」を重んじる思想の台頭
江戸幕府は秩序の維持に都合の良い朱子学を官学として保護したが、その学問は次第に道徳的教化や形而上学的な思索へと傾倒し、現実の社会・経済問題に対処できない「虚学」として批判を浴びるようになった。これに対し、山鹿素行や伊藤仁斎らの古学、そして荻生徂徠の古文辞学は、文献の実証的な吟味を通じて古代の聖人の真意を探ろうとした。彼らの学問的態度は、思索よりも実践を重んじるものであり、これが「実学」の先駆的な思想基盤となった。徂徠の門人である太宰春台らは、経済政策を論じる「経世済民」の学へとこれを発展させていった。
幕政改革と自然科学・実用技術の発展
実学の受容を決定づけたのは、江戸中期の8代将軍徳川吉宗による享保の改革である。吉宗は実用的な技術を奨励し、1720年には漢訳洋書輸入の制限を緩和(禁書の緩和)した。これにより、天文学や西洋医学に関する知識が清を経由して流入するようになった。天文学では、渋川春海が日本独自の暦である貞享暦を作成し、のちに高橋至時や伊能忠敬らによる精密な測量と日本地図の作成へと繋がった。また、吉宗の命で青木昆陽らが甘藷(サツマイモ)の栽培を進めた農学、貝原益軒らによる本草学(植物・鉱物学)など、民生や飢饉対策に直接役立つ自然科学分野が飛躍的に発展した。
洋学の流入と近代科学への地平
江戸後期になると、オランダ語を通じて西洋の科学技術を学ぶ蘭学(のちの洋学)が実学の主権を握る。1774年の前野良沢や杉田玄白らによる『解体新書』の出版は、実証的な近世医学の確立に寄与した。さらに、国防上の危機感から高島秋帆による西洋砲術の導入や、江川太郎左衛門による韮山反射炉の建設など、軍事・造船技術といった分野での実学の必要性が急増した。このように、現実社会の要請に応じて発展した江戸時代の実学は、明治維新以降、日本が近代的な西洋科学技術を急速に受容し、工業化・近代化を成し遂げるための重要な知的土壌となったのである。