八虐

重要度
★★

【参考リンク】
八虐(Wikipedia)

八虐 (はちぎゃく)

701年〜

【概説】
古代の律令法(大宝律令・養老律令)において、天皇・国家および家族秩序に対する最も重大な裏切りとみなされた8種類の犯罪。中国の律(十悪)をモデルにしつつも日本の国情に合わせて受容され、犯した者は貴族特権を剥奪され、恩赦の対象からも原則として除外されるなど極めて厳しく処罰された。

秩序を揺るがす「八つの大罪」の具体相

律令法において最も重い罪とされた「八虐」は、国家や天皇の権威を揺るがす罪と、儒教的な倫理秩序(特に家族秩序)を破壊する罪の二つに大別される。

国家・天皇に対する罪としては、国家の転覆や天皇の殺害を謀る謀反(むへん)、皇陵や宮殿を破壊する謀大逆(むたいぎゃく)、外国に通じて国を裏切る謀叛(むほん)、神宮や儀式用の器物を損壊し天皇に非礼を働く大不敬(だいふけい)が挙げられる。これらは中央集権的な律令国家の最高権威である天皇への絶対的な忠誠を要求するためのものであった。

一方、家族・社会秩序を乱す罪としては、祖父母や父母などの尊属を殺傷する悪逆(あくぎゃく)、残虐な手段で一家3人以上を殺害するなどの非人道行為を指す不道(ふどう)、祖父母や父母への親不孝行為(生前の別居や財産分割、喪に服さないことなど)にあたる不孝(ふこう)、部下が上司を、あるいは妻が夫を殺害する不義(ふぎ)が規定された。これらは孝道を重んじる儒教道徳を法的に強制し、社会の基盤となる身分秩序・家父長制的秩序を維持するためのものであった。

中国の「十悪」との違いに見る日本の国情

八虐の源流は、隋や唐の律に定められていた「十悪」にある。しかし、日本がこの先進的な法体系を受容するにあたり、そのまま導入したわけではなかった。唐の十悪のうち、親族間での暴力や告訴を禁じた「不睦(ふぼく)」、および親族間での不倫や殺傷を指す「内乱」の2項目が、日本の八虐からは除外されている。

この簡略化の背景には、当時の日本社会における独自の家族構造があった。古代日本は氏族共同体の紐帯が強く、また双系的な親族関係(父方だけでなく母方の血縁も重視する傾向)が残っていたため、唐のような徹底した家父長制や厳格な宗族秩序を前提とする「不睦」「内乱」をそのまま適用することは現実的ではないと判断されたと考えられている。このように、日本の律令は中国法を主体的に取捨選択し、当時の日本社会の実態に即した形で編纂されていた。

特権を否定する厳罰性と歴史的意義

八虐の最大の特徴は、犯した者に対して一切の容赦がないという点にある。律令体制下の貴族や官人は、犯した罪を自らの位階を下げることで相殺できる「官当(かんとう)」や、特別な審議によって刑が減免される「八議(はちぎ)」などの強力な司法特権(減免特権)を保持していた。しかし、ひとたび八虐に該当する罪を犯せば、これらの特権はすべて剥奪された。

さらに、国家的な慶事の際に出される「大赦(恩赦)」があっても救済されない「常赦所不免(じょうしゃしょふめん)」の原則が適用された。これは、天皇への「忠」と父母への「孝」を何よりも絶対視する律令国家の強固な意思表明であった。この「忠孝」の思想と、尊属に対する犯罪を極刑をもって罰する基本姿勢は、中世の武家法や近世の幕藩体制下の法(公事方御定書)、さらには近代明治の刑法における「大逆罪」や「尊属殺人罪」の規定にいたるまで、日本の法制史において長く影響を与え続けることとなった。

律令公民制の研究

律令制下の戸籍や計帳の分析を通じ、当時の租税体系と農民の支配構造を精緻に解き明かした実証的な研究書。

日本古代の法と社会

古代社会における法規範の成立過程と、中央から地方へと及んだ統治のあり方を多角的に検証した歴史学の必読書。

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