大塚楠緒子

高校日本史的重要度
★

【参考リンク】
大塚楠緒子(Wikipedia)

楠

「楠」の書き方

大塚楠緒子 (おおつかくすおこ/なおこ)

1875年〜1910年

【概説】
明治時代に活躍した歌人、小説家。日露戦争に出征する夫の無事を祈り、反戦的な心情を率直に詠んだ新体詩「お百度詣で」を総合雑誌『太陽』に発表した人物。国家高揚の陰で苦悩する女性の心情を代弁し、文学史・女性史に足跡を残した。

「お百度詣で」と日露戦争下の非戦論

1904年(明治37年)に勃発した日露戦争のさなか、日本国内では言論統制や主戦論が強まっていた。これに対し、平民社の幸徳秋水や堺利彦らが社会主義の立場から非戦論を展開したが、文壇からも戦争による家族の犠牲を嘆く声が上がった。大塚楠緒子は、夫である美学者の大塚保治が従軍したことを機に、1905年(明治38年)1月、当時の代表的な総合雑誌である『太陽』に詩「お百度詣で」を発表した。この詩は、夫の命を救うために神仏に祈る銃後の妻の痛切な思いを描き、国家の美名のもとで個人の生が脅かされることへの悲痛な抗議を内包していた。

与謝野晶子との対比と文学的意義

大塚楠緒子の「お百度詣で」は、同時期に『明星』に発表された与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」と並び、日露戦争期における反戦・非戦文学の双璧として高く評価されている。晶子の詩が「国家の思想」に対して「個人の情熱」をストレートにぶつけた挑戦的なものであったのに対し、楠緒子の詩は、伝統的な「貞淑な妻」の祈りという体裁をとりながらも、戦争がもたらす悲劇を静かに、かつ深く告発するものであった。当時の知識人階級の女性が、家父長制や国家主義の圧力が強い時代において、自らの言葉で戦争への懐疑を表現したことは、明治近代文学史および女性解放史において極めて重要な意義を持っている。

最終更新:
2026年8月12日 @ 16:38

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