哲学
1874年頃
【概説】
幕末・明治期の啓蒙思想家である西周が、西洋の学問分野である「philosophy」の訳語として考案した学術用語。明治初期における西洋近代思想の受容と、日本語における翻訳概念の形成を象徴する言葉である。
西周による翻訳と「希哲学」からの変遷
江戸後期から明治にかけて、日本は西洋の学術や思想を急速に吸収する必要に迫られていた。その中で、洋学者・啓蒙思想家として活躍した西周(にしあまね)は、西洋の学問体系を体系的に紹介しようと試みた。
西は当初、知を愛求するという「philosophy」の語源を踏まえ、「賢(哲)を希(ねが)う学問」という意味から「希哲学」(または希賢学)という訳語をあてていた。しかし、のちに「希」の字を省き、より簡潔で学問名として座りの良い「哲学」という言葉に改めた。この訳語は、1874(明治7)年に刊行された西の講義録『百学連環』などを通じて世に広まり、定着していくこととなった。
近代日本の知のインフラとしての「翻訳造語」
西周による「哲学」という言葉の創出は、単なる一単語の翻訳にとどまらず、日本が西洋の思考体系や近代科学を主体的・体系的に受容するための極めて重要なステップであった。西は「哲学」のほかにも、「主観」「客観」「理性」「科学」「概念」「義務」など、現代の日常会話や学術界でも不可欠となっている多くの和製漢語(翻訳造語)を考案した。
明治10(1877)年に創設された東京大学には、早くも文学部に「哲学科」が設置され、西洋哲学の講義が行われた。このように、西らが創り出した翻訳語のネットワークによって、日本人は外国語(英語やドイツ語など)をそのまま用いることなく、日本語の思考体系の中で西洋の高度な近代知を咀嚼し、発展させることが可能となったのである。