君が代

高校日本史的重要度
★★★★

君が代

1880年曲完成

【概説】
日本の国歌。古今和歌集などに収録された古典的な和歌を歌詞とし、明治初期に近代国家としての儀礼上の必要性から作曲された。宮内省の雅楽師らによる旋律に西洋式の和声が付けられて完成し、近代日本の国民国家形成において象徴的な役割を果たした。

歌詞の起源と明治初期の模索

「君が代」の歌詞は、10世紀に編纂された『古今和歌集』(巻七、賀歌)に収録されている「我が君は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりて苔のむすまで」という「読人しらず」の和歌を初出とする。この歌はのちに『和漢朗詠集』にも収録され、中世から近世にかけて祝いの席や民間芸能などで広く親しまれていた。明治維新後の1869年(明治2年)、イギリスの軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが日本に「国歌」がないことを指摘したため、薩摩藩の大山巌(のちの元帥)らがこの歌を選定し、フェントンが作曲を施した。しかし、この初代「君が代」は言葉のイントネーションとメロディが合わず、広く普及することはなかった。

現在の旋律の誕生と国歌としての定着

初代「君が代」の不評を受け、1880年(明治13年)に新たな作曲が行われた。宮内省雅楽課の奥好義(おくよしいさ)が雅楽の音階(律旋法)に基づいた旋律の基礎を考案し、雅楽師の林広守がそれを補作・編曲、さらに海軍省お雇い外国人であったドイツ人のフランツ・エッケルトが西洋風の和声を付した。こうして誕生した現在の「君が代」は、同年の天長節(明治天皇の誕生日)に宮中で初めて演奏された。その後、1893年(明治26年)に文部省が「小学校祝日大祭日儀式規程」を制定し、学校儀式で歌うべき唱歌に指定したことで全国へと普及した。戦後の1999年(平成11年)には「国旗及び国歌に関する法律」(国旗国歌法)が制定され、法的にも日本の国歌として明文化された。

最終更新:
2026年10月7日 @ 22:25

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