民事訴訟法

1890年に制定された、私人間での金銭や権利の争いを裁判で解決するための手続きを定めた法典は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
民事訴訟法(Wikipedia)

民事訴訟法

1890年

【概説】
明治政府が近代的な法治国家の体裁を整えるために、1890(明治23)年に制定した私法上の紛争解決手続きを定める基本法。個人間における財産や身分関係の争いを、独立した裁判所が公権的に解決するための基本ルールを定めたものである。条約改正を念頭に置いた近代法典編纂事業の一環として、主にドイツ法をモデルに作成された。

条約改正と近代司法制度の整備

明治維新以降、新政府にとって江戸時代の旧習から脱却した司法制度を確立することは急務であった。とりわけ、幕末に結ばれた不平等条約の改正、なかでも領事裁判権(治外法権)の撤廃を実現するためには、欧米列強と同等の法制度(法典)を備えていることを国際社会に示す必要があった。

このような歴史的背景のもと、国家の骨格を定める大日本帝国憲法の制定(1889年)と前後して、各種の基本法典(民法、刑法、商法、刑事訴訟法、民事訴訟法)の編纂が急ピッチで進められた。1890年には司法権の組織と管轄を定めた裁判所構成法が公布され、これに歩調を合わせる形で、私的な争いを裁くための手続きを体系化した「民事訴訟法」が同年4月に公布(1891年施行)された。これにより、国家権力による刑事裁判(刑事訴訟法)と、私人の権利を守る民事裁判(民事訴訟法)という、近代司法の二大訴訟手続法が整うこととなった。

フランス法からドイツ法への転換とテヒョーの役割

明治初期の法典整備は、お雇い外国人のボアソナードらに代表されるフランス法の強い影響下で始まった。しかし、1880年代以降、明治政府がドイツ(プロイセン)をモデルとした中央集権的な国家体制を目指すようになると、法典整備の主軸もフランス法からドイツ法へとシフトしていった。

民事訴訟法の起草にあたっては、ドイツ人法学者のテヒョー(Techow)が中心的な役割を果たした。彼は1877年のプロイセン民事訴訟法を範にとり、当事者の主張と立証に基づいて裁判を進める「弁論主義」や、原告と被告が対等な立場で争う「当事者対等原則」といった近代民事訴訟の基本原則を盛り込んだ草案を作成した。この1890年民事訴訟法は、日本の国情に合わせた運用を重ねながら、大正・昭和期の部分的な改正を経つつ、1996(平成8)年に現行の民事訴訟法が全面改定されるまで、日本の民事裁判の基本骨格として機能し続けた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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