部落解放同盟 (ぶらくかいほうどうめい)
【概説】
1955年に部落解放全国委員会が改称して結成された、被差別部落の完全解放を求める社会運動団体。戦前の全国水平社の伝統を継承し、戦後民主主義の潮流の中で差別糾弾と人権確立、生活環境の改善を目指して多様な運動を展開した。
全国水平社からの継承と「部落解放同盟」の発足
部落解放同盟の歴史的源流は、1922年(大正11年)に結成された全国水平社にある。戦前の水平社運動は、自主的な糾弾闘争を通じて被差別部落の尊厳を主張したが、治安維持法による弾圧や太平洋戦争の勃発に伴い、運動は一時中断を余儀なくされた。
戦後の1946年(昭和21年)、松本治一郎らを中心に「部落解放全国委員会」として運動が再建された。日本国憲法が制定され、基本的人権の尊重や法の下の平等の原則が示されたことは、運動にとって大きな追い風となった。その後、冷戦構造の激化や国内の政治的対立が進むなか、1955年(昭和30年)の第10回全国大会において、より広範な大衆的運動への脱皮と組織の飛躍を期して、名称を部落解放同盟へと改称した。
「同和対策審議会」答申と特別措置法の制定
結成後の部落解放同盟は、行政に対して被差別部落の劣悪な住環境や就労・教育機会の格差を是正させるための「行政闘争」を活発に展開した。同盟による粘り強い要求行動は、ついに政府を動かし、1965年(昭和40年)の同和対策審議会(同対審)答申へと結実する。
この答申は、部落問題の解決を「国の責務であり、同時に国民的課題」と明記した画期的なものであった。これを受けて1969年(昭和44年)には同和対策事業特別措置法が制定され、国費を投じた大規模な地域改善対策事業(インフラ整備、公営住宅の建設、奨学金制度の拡充など)が本格化した。これにより、物理的な意味での環境格差は劇的に改善されることとなった。
戦後社会運動における位置づけと現代的課題
部落解放同盟の運動は、単なる一マイノリティの利害関係にとどまらず、戦後の総評や革新政党(特に社会党・共産党など)と連携しながら、広範な反戦平和運動や民主主義擁護運動の一翼を担った。しかし、その過程で、運動の方針や政党との関係性をめぐって内部対立(特に日本共産党支持層との決別と「全国部落解放運動連合会」の結成)も生じ、運動は分裂の歴史も抱えることとなった。
特別措置法が失効した現代においても、結婚や就職における身元調査、インターネット上の差別情報の流布など、心理的・精神的な差別は根強く残っている。部落解放同盟は、アイヌ民族や在日外国人、さらには世界のマイノリティ団体とも緊密に連携し、包括的な人権擁護法案の制定や「部落差別解消推進法」(2016年施行)の具現化に向けた活動を続けている。