フェントン (ふぇんとん)
【概説】
明治初期に来日したイギリス海軍の軍楽隊長。薩摩藩の軍楽隊を指導して日本における吹奏楽の基礎を築くとともに、初代「君が代」の作曲を手がけたお雇い外国人である。
日本における吹奏楽の誕生とお雇い外国人
ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton)は、幕末から明治維新期にかけて日本に西洋音楽をもたらした初期の「お雇い外国人」の一人である。1869(明治2)年、イギリス海軍歩兵隊の軍楽隊長として横浜の居留地に赴任した。当時、軍事の近代化を急いでいた薩摩藩は、洋式軍楽(吹奏楽)の導入を決定し、フェントンに指導を依頼した。これが日本における洋楽受容、および「日本吹奏楽」の黎明期における重要な画期となった。明治政府発足後、フェントンは海軍省に正式に雇用され、海軍軍楽隊の指導者として日本の初期吹奏楽の発展に大きく貢献した。
初代「君が代」の作曲とその歴史的意義
明治初期、欧米諸国との外交交渉が進むにつれて、儀礼上の必要性から「国歌」の制定が急務となった。国歌という概念がなかった当時の日本に対し、フェントンはその必要性を強く提言した。これを受けて、薩摩藩の大山巌(のちの元帥陸軍大将)らが中心となり、めでたい歌として親しまれていた『古今和歌集』の和歌から歌詞を選定した。この歌詞にフェントンが西洋風のメロディを付けたことで、1870(明治3)年に初代の「君が代」が誕生した。
しかし、フェントンが作曲した初代「君が代」は、日本語のイントネーションや言葉の区切りが西洋的な旋律と合わず、不評であった。そのため、のちの1880(明治13)年に宮内省雅楽課の奥好義(おくよしい)らが雅楽の旋律をベースに新しいメロディを作成し、それをドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが吹奏楽用に編曲した。これが現在まで続く「君が代」となった。フェントンの初代「君が代」は今日では歌われていないが、国歌制定の端緒を開き、日本の音楽近代化を促した功績はきわめて大きい。