公正取引委員会
【概説】
独占禁止法の運用を担い、市場における自由かつ公正な競争を促進するために設立された独立行政機関。戦後のGHQによる経済民主化政策の一環として誕生し、企業の不正な取引やカルテルなどを監視・摘発する「市場の番人」としての役割を持つ。
経済民主化と公正取引委員会の誕生
太平洋戦争後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による対日占領政策において、農地改革、労働民主化と並ぶ三大改革の一つとして掲げられたのが経済民主化であった。その中核をなしたのが、日本経済を支配していた十五大財閥などの解体(財閥解体)と、過度経済力集中排除法の制定である。これらによって一度解体された独占的な経済体制が再び復活することを防ぎ、民主的な市場競争のルールを維持・監視するために、1947(昭和22)年に独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)が制定された。この独占禁止法を厳格に運用するための準司法的・準立法的権限を持つ独立性の高い合議制機関として、同年に公正取引委員会が設置された。これはアメリカの連邦取引委員会(FTC)をモデルとしたものであった。
冷戦激化に伴う「逆コース」と独占禁止法の緩和
発足当初の公正取引委員会は強力な権限を有していたが、1940年代末から1950年代にかけての国際情勢の変化(冷戦の激化)に伴い、アメリカの対日政策は「日本の弱体化・民主化」から「東アジアにおける資本主義の防波堤としての再建」へと大きく舵を切った。いわゆる逆コースの進展である。これにより、日本の産業界からは国際競争力強化のために規制緩和を求める声が強まり、1949(昭和24)年および1953(昭和28)年に独占禁止法の大幅な緩和措置が行われた。この結果、不況カルテルや合理化カルテルが一定の条件のもとで容認されるようになり、公正取引委員会の監視の目は一時的に緩められることとなった。高度経済成長期においては、通商産業省(現・経済産業省)が主導する産業行政(行政指導による企業間の協調や再編成)と、公正取引委員会が掲げる競争政策との間で、しばしば政策的な対立が生じることとなった。
「市場の番人」としての機能回復と役割の拡大
1970年代に入ると、高度経済成長の歪みや石油危機(オイルショック)を契機とした物価の高騰が社会問題化し、企業によるヤミカルテルや便乗値上げに対する批判が集中した。これを受けて公正取引委員会は積極的な摘発に乗り出し、1974年には「石油ヤミカルテル」を摘発して社会的な注目を集めた。こうした世論の後押しを受け、1977(昭和52)年には独占禁止法が初めて強化される方向で改正され、違反企業に対する課徴金の徴収制度や、独占的状態の排除措置などが導入された。これにより、公正取引委員会は名実ともに「市場の番人」としての機能を強化し、冷戦後のグローバル化や規制緩和が進む日本経済において、市場の公正な競争環境を担保するための極めて重要なプレイヤーとしての地位を確立していくこととなった。