九竜半島 (きゅうりゅうはんとう)
【概説】
中国広東省南部に位置し、香港島に隣接する半島。1898年、日清戦争後の中国分割の潮流の中で、イギリスが清朝から99年間の期限で租借した地域である。
列強による中国分割と九竜半島租借の経緯
1894年から95年にかけての日清戦争において清が日本に敗北すると、それまで「眠れる獅子」と恐れられていた清の弱体化が露呈した。これを契機に、欧州列強による激しい中国分割競争が開始された。ドイツによる膠州湾、ロシアによる旅順・大連、フランスによる広州湾の租借などが相次ぐ中、イギリスもこれに対抗して自らの勢力圏を確保する必要に迫られた。
イギリスはすでにアヘン戦争後に香港島を領有し、アロー戦争後の北京条約(1860年)によって九竜半島の南端部(界限街以南)を獲得していたが、香港の防衛強化と港湾機能の拡張を目的に、さらにその背後地である九竜半島の残り(新界と呼ばれる地域)および周辺の島々を要求した。その結果、1898年6月に展拓香港界址専条が締結され、99年間の期限で同地域を租借することとなった。この租借地は「新界(ニューテリトリー)」と呼ばれ、香港の経済的・軍事的基盤を支える重要な地域となった。
明治期の日本と東アジア国際情勢への影響
イギリスによる九竜半島租借をはじめとする列強の中国分割は、明治期の日本における対外政策に決定的な影響を与えた。三国干渉によって遼東半島の領有を阻まれた日本は、欧州列強の圧倒的な軍事力を前に「臥薪嘗胆」を合言葉に軍備拡張を急いだ。同時に、列強による清の「門戸開放・機会均等」を唱えるアメリカや、中国南部での利権確保を目指すイギリスとの関係を模索することになる。
日本自身もこの列強の分割競争に加わり、1898年には対岸の台湾を領有している立場から、清に対して福建省を他国に譲渡・租借しない旨の約束(福建省不割譲約束)を取り付けた。九竜半島の租借を含むイギリスの東アジアにおける覇権維持の動きは、のちの日英同盟(1902年)の締結や、ロシアの南下政策に対する日英共同の対抗策形成へと繋がる重要な契機となった。なお、このとき設定された99年間の租借期限が1997年に満期を迎えたことが、香港全体が中国に一括返還される要因となった。