八部衆像(興福寺)

興福寺に安置されている脱活乾漆造の群像で、仏法を守護する古代インドの異教の神々をモデルとした阿修羅像などを含む8体の像を総称して何というか?
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重要度
★★

八部衆像(興福寺) (はちぶしゅうぞう)

734年

【概説】
奈良の興福寺に伝わる、仏法を守護する8尊の異形の神々をかたどった乾漆造の仏像群。光明皇后の発願によって天平6年(734年)に創建された西金堂に安置され、天平彫刻の写実性と精神性を極限まで高めた傑作として広く知られる。

光明皇后の至孝と西金堂の創建

奈良時代の天平6年(734年)、聖武天皇の皇后である光明皇后は、前年に亡くなった母・橘三千代の一周忌追善供養のために、藤原氏の氏寺である興福寺に西金堂(さいこんどう)を建立した。八部衆像はこの西金堂の本尊である釈迦三尊像を取り囲む守護神として、釈迦の直弟子である「十大弟子像」とともに安置されたものである。母への深い孝心と、藤原氏の権勢を示すための国家的規模の仏教信仰が背景にあり、当時の平城京における高度な精神文化を象徴する造像事業であった。

脱活乾漆造がもたらした天平彫刻の極致

八部衆像の技術的特徴は、その制作技法にある。これらは脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)と呼ばれる技法で造られており、粘土で作った原型の上に麻布を漆で何度も貼り重ね、漆が乾燥した後に中の粘土を掻き出して中空にし、最後に細部を仕上げる手法である。この技法は極めて高価な漆を大量に消費するため、国家的な工匠集団である官営工房でしか採用できなかった。脱活乾漆造によってもたらされた軽量かつ柔軟な表現力は、従来の木彫や金属製仏像にはない、人間の肉体に近い柔らかな起伏や、静謐な表情の写実的表現を可能にした。

インドの異神から仏教の守護神へ:阿修羅に見る天平の美意識

八部衆(天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅)は、もとは古代インド神話における異形の戦闘神や悪魔であったが、仏の教えに感化されて仏法を守護する善神となった存在である。興福寺の八部衆像は、鳥の頭を持つ迦楼羅(かるら)や、蛇を頭上にいただく沙羯羅(さきゃら)など、異形の姿を保ちつつも、極めて人間味にあふれた表情で造形されている。特に高名な阿修羅像(あしゅらぞう)は、本来の激しい戦闘神としての怒りの表情ではなく、思春期の少年のような愁いを帯びた、悔恨と懺悔を秘めた表情で表されている。これは、当時の藤原氏を取り巻く政治闘争に対する苦悩や、罪業を恐れる天平びとの宗教的心情、そして高度な知的美意識を色濃く反映したものと考えられている。

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奈良の寺寺: 鑑賞の手引 (和綴歴史とのふれあいシリーズ)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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