位封

重要度
★★

【参考リンク】
位封(Wikipedia)

位封 (いほう)

7世紀末〜

【概説】
律令制において、位階(位)に応じて貴族に支給された経済的特権である食封(じきふ)の一種。国家から与えられた特定の農戸(封戸)から徴収される庸・調の全額(のちに折半)と、租の半分を給与として受け取る制度であり、古代貴族の強力な財政基盤となった。

律令体制における「食封」と位封の位置づけ

飛鳥時代末期から奈良時代にかけて日本に導入された律令制では、国家を運営する官僚や貴族の生活を支えるため、緻密な「禄制(給与制度)」が整えられた。その中核をなしたのが、特定の農戸(封戸)を割り当て、そこから徴収される税を給与として直接受け取る権利を与える食封(じきふ)の制度である。

食封には、皇族に与えられる「品封(ほんぷつ)」や、特定の官職に付随する「職封(しきほう)」などがあったが、個人の持つ位階(ステータス)に応じて支給されたのが位封(いほう)である。律令制下における位階は単なる名誉ではなく、明確な経済的実利を伴うものであり、位封はその最も象徴的な権利であった。

位階に応じた支給額と対象の拡大

大宝律令や養老律令の規定によると、位封は当初、三位以上の「貴(たっとき)」と呼ばれる上級貴族のみを対象としていた。正・従一位には300戸、正・従二位には150戸、正・従三位には100戸が支給され、これら封戸の農民が負担する庸・調(のちに折半)と租の半分が貴族の懐に入った。これは当時の水準から見て巨万の富であり、五位以上の「貴族」とそれ以下の「官人」を隔てる決定的な経済的格差を生み出していた。

しかし、奈良時代後期の天平宝字元(757)年、藤原仲麻呂(恵美押勝)の主導による改革の中で、この位封が四位(30戸)および五位(20戸)の諸大夫(たいふ)層にまで拡大された。この措置は、実務を担う中級貴族層を取り込み、官僚制の忠誠度を高める狙いがあったが、一方で国家が直接手にする税源を減少させ、国家財政を圧迫する一因ともなった。

位封の変容と古代国家の変質

本来、位封による税の徴収は、貴族が直接農民から奪うのではなく、地方官である国司を仲介して受給者に届ける「官送(かんそう)」が原則であった。これは、貴族が土地や人民を直接支配することを防ぎ、「公地公民」の建前を維持するためのシステムであった。しかし、平安時代に入り律令体制が弛緩すると、貴族による封戸への直接的・私的な支配(領主化)が強まっていく。

さらに、10世紀に律令的税制が崩壊すると、国家が封戸から税を徴収して貴族に配分するシステム自体が機能しなくなった。これにより位封は事実上崩壊し、貴族たちは新たな経済的基盤として、地方の有力者から寄進される荘園の領有や、受領国司との結びつきへと依存を強めていくこととなる。位封の変遷は、古代日本が中央集権的な律令国家から、中世的な権門体制へと変質していく過程を如実に示している。

天皇と官僚: 古代王権をめぐる権力の相克 (PHP新書 63)

古代天皇の統治における官僚制の変遷と、王権と行政権力が衝突・補完し合う関係性を鋭く解き明かす歴史分析の書。

律令制と正倉院の研究

天平文化の象徴である正倉院の宝物と律令制度の運用を照らし合わせ、当時の政治構造と社会の実態に迫る専門的研究。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 律令制のもと、中央から派遣された国司が実際の政務(行政や裁判など)を執り行った役所を何というか?
Q. 縄文時代の6区分のうち、中期の次にあたり、東日本から西日本への文化の拡散や多様化が見られた時期を何というか?
Q. 弥生時代を土器の型式や社会の変化などを基準にして大きく分けた、3つの時代区分を順にすべて答えよ。