企業集団

財閥解体後、三井や三菱などのかつての財閥系企業が、系列の銀行を中心に株式の相互持ち合いなどで形成した緩やかな企業グループを何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
企業集団(Wikipedia)

企業集団

1950年代~

【概説】
第二次世界大戦後の財閥解体を経て、旧財閥系などの企業がメインバンクや総合商社を中心に再結集した緩やかな企業グループ。株式の相互持ち合いや「社長会」を通じた組織的紐帯を特徴とし、高度経済成長期の日本経済を牽引する中核となった。

財閥解体から企業集団への移行

第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が推進した経済民主化政策の一環として財閥解体が実施された。これにより、戦前の日本経済を支配していた三井・三菱・住友・安田などの巨大財閥は、持株会社の解散や家族支配の排除、さらには独占禁止法の制定によって完全に解体された。しかし、1952年のサンフランシスコ平和条約発効に伴う独立回復と、その後の冷戦激化に伴う「逆コース」の進展のなかで独占禁止法が緩和されると、旧財閥系企業は再結集の動きを急速に強めていった。

戦前の財閥が「持株会社」を頂点とする垂直的・ピラミッド型の支配構造(傘下企業を資本で直接支配する形態)を持っていたのに対し、戦後に誕生した企業集団は、持株会社の設立が引き続き禁止されていたため、グループ企業間で互いに株式を持ち合う株式の相互持ち合いという水平的で緩やかな組織形態をとった。ここに、三菱・三井・住友などの旧財閥系を系譜とする企業集団や、富士(旧安田)・三和・第一勧業(現みずほ)といった主力銀行を中心とする非財閥系の「6大企業集団」が形成されるに至った。

社長会とメインバンク制度による紐帯

企業集団の結束を支えた実質的な紐帯は、グループ企業の最高経営責任者が集う社長会(三菱の「金曜会」、三井の「二木会」、住友の「白水会」など)と、グループの中核に位置するメインバンク(都市銀行)および総合商社であった。社長会は、戦前の持株会社のような法的・絶対的な権限こそ持たなかったが、グループ内での情報交換、新事業立ち上げの調整、さらには経営危機に陥ったグループ企業の救済策協議など、非公式ながら強力な意思決定機関として機能した。

また、高度経済成長期において、慢性的な資金不足に直面していた各企業に対し、集団のメインバンクが優先的に融資を行う「系列融資」が実施された。これに総合商社の強力な物流網・情報網が加わることで、原材料の調達から製造、販売、資金調達に至るまでをグループ内で完結させる「フルセット主義」的な共同投資や技術開発が可能となり、日本の重化学工業化を強力に推し進める原動力となった。

安定株主対策と構造の変容

企業集団による株式の相互持ち合いは、1960年代後半の資本自由化(外資による日本企業への投資解禁)に際し、外国資本による敵対的買収(テイクオーバー)を防ぐための「安定株主工作」として極めて有効に機能した。この強固な相互持ち合い構造は、日本の経営陣を短期的な株主利益の追求圧力から解放し、中長期的な視点に立った積極的な設備投資や研究開発、さらには終身雇用や年功序列に代表される日本型雇用慣行を維持・安定させる基盤となった。

しかし、1980年代末のバブル経済崩壊とそれに続く長期の平成不況(失われた30年)、さらには1990年代後半の「金融ビッグバン」をはじめとする各種規制緩和により、このシステムは大きな転機を迎えた。国際的な会計基準の導入に伴って持合い株式の評価損リスクが顕在化したことや、メガバンクの大規模な再編(三菱UFJ、三井住友、みずほへの統合)が進んだ結果、従来の企業集団の枠組みは大きく変容し、現在では株式の相互持ち合い解消が加速するなど、その組織的結束力はかつてに比べて大幅に希薄化している。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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