人工衛星「おおすみ」

高校日本史的重要度
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【参考リンク】
おおすみ(Wikipedia)
鹿児島県内之浦宇宙空間観測所にて2013年8月撮影。内之浦からはあの「はやぶさ」も打ち上げられたのだが、日本の宇宙開発と言えば種子島しか思い浮かばない人も多いだろうか。アクセスが悪く(大隅半島全般そうだが)、人もあまり来ないからなのか、展示がやる気なさすぎた。今はどうか知らんけど。

人工衛星「おおすみ」

1970年

【概説】
1970年(昭和45年)2月11日、東京大学宇宙航空研究所によって打ち上げられた日本初の人工衛星。この成功により、日本はソ連、アメリカ、フランスに次いで世界で4番目の自力での人工衛星打ち上げ国となった。

度重なる失敗を乗り越えた「ペンシルロケット」からの系譜

日本の宇宙開発は、1955年に「日本の宇宙開発の父」と呼ばれる糸川英夫らが開発した全長わずか23センチメートルの「ペンシルロケット」の水平発射実験から始まった。その後、東京大学生産技術研究所(のちの宇宙航空研究所)を中心に研究が進められた。しかし、「おおすみ」を搭載したL-4S(ラムダ4S)ロケットによる打ち上げは、1号機から4号機まですべて姿勢制御の困難や誘導系のトラブルなどで失敗に終わっていた。プロジェクトへの批判が高まる中、技術者たちの執念と徹底的な原因究明により、1970年2月11日、鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所から発射された5号機がついに軌道投入に成功し、打ち上げの地である大隅半島にちなんで「おおすみ」と命名された。

高度経済成長期の結実と平和目的の宇宙開発

1970年は、アジア初の万国博覧会である日本万国博覧会(大阪万博)が開催された年であり、日本が戦後の復興から奇跡的な高度経済成長を遂げ、科学技術大国としての地位を世界にアピールした象徴的な時期であった。「おおすみ」の成功はその先陣を切る快挙であった。また、当時の米ソ冷戦下における宇宙開発が軍事技術(弾道ミサイル開発など)と密接に結びついていたのに対し、日本の宇宙開発は大学組織が主導した「非軍事・平和利用」を原則としていた。誘導制御技術を極力使わない独自の工夫で軌道投入に成功した点は、国際的にも日本の高い技術水準を示すものとして評価された。

最終更新:
2026年10月5日 @ 20:50

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