核家族

高度経済成長期、若者が集団就職などで都市に流入した結果、祖父母と同居しない夫婦とその子供だけで構成される家族が増加したが、これを何というか?
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【参考リンク】
核家族(Wikipedia)

核家族

【概説】
夫婦のみ、または夫婦と未婚の子供だけで構成される家族の形態。日本では戦後の高度経済成長期以降、産業構造の変化や都市化の進展に伴って急増した。伝統的な直系家族に代わって現代日本の標準的な家族モデルとして定着した一方で、少子高齢化などの新たな社会問題の淵源ともなった。

戦後民法の改正と「家」制度の崩壊

戦前の日本社会では、戸主を中心とする家父長制的な「家」制度が民法で規定されており、長男が家督を継承し、親と同居する直系家族(拡大家族)が一般的であった。しかし、第二次世界大戦後の1947(昭和22)年に施行された改正民法により「家」制度は廃止され、個人の尊厳と両性の本質的平等を原則とする新しい家族法が成立した。これにより法制面上は夫婦を中心とする新しい家族形態への移行が促されたが、現実の社会構造において核家族が急増するのは、その後の経済成長を待つ必要があった。

高度経済成長と人口移動による急増

核家族化が決定的に進展したのは、1950年代後半から始まる高度経済成長期である。この時期、日本の産業構造は農業を中心とする第一次産業から、重化学工業などの第二次産業、さらには第三次産業へと劇的に転換した。

それに伴い、地方の農林水産業地帯から太平洋ベルトなどの大都市圏へ、若年労働者が大量に移動した。いわゆる「金の卵」と呼ばれた集団就職者などである。彼らは故郷の親元を離れて都市部で賃金労働者(サラリーマン)となり、やがて結婚して独立した世帯を構えた。こうして、親世代と同居しない核家族世帯が都市部を中心に爆発的に増加し、1960年代には日本の全世帯の半数以上を核家族が占めるようになったのである。

ニュータウンの建設と大衆消費社会の成立

都市部への急激な人口集中によって生じた深刻な住宅不足を解消するため、1955(昭和30)年に設立された日本住宅公団は、全国各地に大規模な団地やニュータウン(千里ニュータウン、多摩ニュータウンなど)を建設した。これらの公団住宅はダイニングキッチン(DK)を備えており、食寝分離や椅子座の生活といった新しい洋風のライフスタイルを普及させた。

また、独立した世帯である核家族の増加は、巨大な消費市場を創出することになった。新生活を始めるにあたって、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「三種の神器」や、後の「3C(カラーテレビ・クーラー・自動車)」といった耐久消費財が各家庭に買い揃えられ、大衆消費社会の成熟と内需主導の経済成長を強力に牽引した。

核家族化がもたらした現代の社会課題

核家族の普及は、旧来の封建的な親族関係からの解放や個人の自由の拡大をもたらした一方で、現代日本が直面する様々な社会問題の引き金ともなった。親族や地域共同体による伝統的な相互扶助機能が失われたことで、共働き世帯における「鍵っ子」の増加や、密室での育児ノイローゼといった子育てに関する孤立問題が顕在化した。

さらに時代が下ると、かつて高度経済成長期に核家族を形成した世代が高齢期を迎え、子供が独立した後に再び「夫婦のみの世帯」や「単独世帯(独居)」へと移行した。これにより、老老介護や独居老人の孤立死、少子高齢化の加速といった深刻な事態が引き起こされている。核家族化の歴史的推移は、戦後日本の経済的繁栄の象徴であると同時に、社会構造の根本的な変容とその代償を如実に物語る指標であるといえる。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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