非人
【概説】
江戸時代の幕藩体制下において、穢多(えた)とともに最下層に位置づけられた被差別身分(賤民)。主に物乞いや芸能、清掃、行刑の下役などに従事し、地域によっては穢多の支配下に組み込まれることもあった。治安維持や警察機構の末端として利用される一方で、厳しい社会的差別の対象となった。
中世における起源と性格の変容
「非人」という呼称自体は古代から存在し、本来は仏教用語の「人非人(人間であって人間ではないもの)」に由来するとされる。中世においては、重病者や身体障害者、乞食(こつじき)などを指し、彼らは寺社の庇護のもとで境内の清掃や葬送、勧進(寄付集め)、芸能などに従事していた。当時の非人は、神仏に直結する存在として呪術的な畏怖の対象(神聖視)となる側面と、「穢れ(けがれ)」を担う存在として忌避される側面が混在しており、必ずしも固定的な被差別身分ではなかった。
幕藩体制による身分の固定化と「野非人」
江戸幕府が成立し、兵農分離を基盤とする厳格な身分制度が構築される過程で、非人は法的な被差別身分として編成・固定化されていった。幕府や諸藩は、都市に流入する無宿者や困窮者を治安維持の観点から統制するため、彼らを非人という枠組みに押し込めたのである。江戸時代の非人には、世襲的にその身分にある抱非人(かかえひにん)と、経済的困窮や犯罪行為によって平民から転落した野非人(のひにん)が存在した。特筆すべきは、野非人は親族の引き受けなどの一定の条件を満たせば、元の身分に復帰(足洗)できる可能性があった点である。この点で、血統や家業によって固定化されていた穢多(えた)身分とは異なる、ある程度の流動性を残していた。
社会的役割と「穢多」との階層関係
江戸時代の非人は、社会を維持するために不可欠な多くの業務を担わされた。その生業は、門付(かどづけ)などの芸能、遊里や芝居小屋周辺での物乞い、町内の清掃や井戸掘り、動物の死骸処理など多岐にわたる。さらに、幕府や藩の警察・行刑機構の末端に組み込まれ、罪人の捕縛、牢番、処刑場での雑役(首斬りの下役など)といった、一般民衆が「穢れ」として忌避する役目を強制された。
制度上、非人は多くの場合、もう一つの被差別身分である穢多の支配下に置かれていた。たとえば江戸では、非人頭である車善七(くるまぜんしち)が非人身分を統括していたが、彼自身も関東一円の穢多・非人を支配する穢多頭の弾左衛門(だんざえもん)の統制下に置かれていた。幕府は被差別身分の内部に厳格な上下関係を構築し、対立を煽ることで彼らを巧妙に分断・支配したのである。
解放令と近代以降の部落問題への影響
明治維新後の1871年(明治4年)、新政府は四民平等の理念のもと、いわゆる解放令(賤民廃止令)を布告し、穢多・非人などの身分呼称を廃止して平民と同等の扱いとした。しかし、これは近代国家の体裁を整えるための法的な措置に過ぎず、民衆の間に根付いた差別意識は払拭されなかった。むしろ、解放令によって非人が独占していた清掃や皮革処理などの専売的特権が奪われたことで、彼らは急速に資本主義経済の競争に放り込まれ、経済的にさらに困窮することとなった。この歴史的背景は、その後の日本社会における深刻な部落問題(同和問題)として、近現代まで長く影を落とすことになったのである。