下人

名主などの家に隷属し、売買の対象にもなるなど独立した生活を営めなかった隷属民を何というか。
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下人 (げにん)

【概説】
平安時代中期から中世にかけて、名主(開発領主)などの有力者に隷属し、家政や農業労働に従事させられた下層の隷属民。自己の耕地を持たず、主人から人格的に強い支配を受ける不自由身分であった。

名主の直営地を支えた労働力

平安時代中期以降、各地で開発領主による土地の私有化が進むと、彼らはみずからの直営地(手作地)を経営するために従属的な労働力を必要とした。その主力となったのが下人(げにん)や所従(しょじゅう)と呼ばれる人々である。彼らは主人である名主の家敷内、あるいはその周辺に居住し、日常の雑役や農繁期における農業労働に従事した。自立した生産手段や土地を持たない下人は、中世の農業経営において不可欠な労働力として機能していた。

人身支配と中世から近世への変遷

下人は、基本的には主人による人身支配の対象であり、売買や譲渡、譲状(遺言状)による子孫への相続の対象とされた。債務の不履行や、飢饉の際の身売り(人身売買)などによって下人身分に転落するケースが多かったとされる。しかし、中世を通じて完全に無権利だったわけではなく、独自の財産所有や限定的な婚姻(一宿別番など)が認められる場合もあった。こうした中世独特の隷属関係は、豊臣秀吉による太閤検地において「一地一作人の原則」が適用され、耕作者が検地帳に登録されて自立的な「百姓」へと位置づけられていく中で、次第に解体へと向かうこととなった。

日本中世の非農業民と天皇(上) (岩波文庫 青N402-2)

中世社会の周縁で生きた非農業民の姿を辿り、天皇との関わりから日本史の深層構造を解き明かす画期的な論考。

日本中世被差別民の研究

被差別民の歴史的ルーツを徹底的に解明し、中世社会における彼らの役割と境界の変容を浮かび上がらせる重厚な研究書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 1872年、フランス人技師ブリューナの指導のもと、群馬県に設立された大規模な官営の機械製糸工場はどこか?
Q. 応仁の乱の戦火を避けて奈良に逃れ、『樵談治要』や『公事根源』などの優れた著作を残した関白(公家)は誰か?
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