ニコライ堂

1891年に竣工した東京・神田にあるロシア正教会の聖堂で、コンドルが設計監督を務めたビザンティン様式の建築物は何か?
カテゴリ:
重要度
★★

ニコライ堂 (にこらいどう)

1891年竣工

【概説】
東京・神田駿河台に建つ、日本ハリストス正教会の代表的な大聖堂。ロシア人建築家シチュールポフの原設計に基づき、お雇い外国人であるジョサイア・コンドルが実施設計と工事監督を担当した、日本を代表するビザンティン様式の近代建築である。

ニコライの来日と大聖堂建設の背景

幕末の1861年、ロシアから函館の領事館付司祭として来日した修道司祭ニコライ(のちに日本大主教)は、日本におけるハリストス正教会(東方正教会)の布教に尽力した。明治維新を経てキリスト教への禁制が実質的に解かれると、ニコライは布教の拠点を東京に移し、日本における正教会の総本山となる聖堂の建設を計画した。

ニコライはロシア本国での募金活動や日本の信徒からの寄付金をもとに資金を募り、1884年に神田駿河台の高台で起工式を行った。この地は江戸時代に火除地であった場所で視認性が高く、完成した大聖堂は近代化を推し進める東京の街を見下ろす、新たな都市のランドマークとなった。

コンドルの実施設計とビザンティン様式の建築美

ニコライ堂の基本設計は、ロシアの工務省建築家であるシチュールポフが担当した。しかし、遠方からの監理が困難であったため、実際の施工にあたっては、工部大学校造家学科(現・東京大学建築学科)の教授として日本の近代建築の基礎を築いたイギリス人のお雇い外国人ジョサイア・コンドルが、実施設計および建築監督を任された。

建物は、ギリシア十字型の平面を持ち、中央に巨大なドーム(丸屋根)を配した本格的なビザンティン様式で設計された。煉瓦造りと石造りを組み合わせた堅牢な構造に白漆喰が施され、当時の和洋折衷の街並みにおいて異彩を放つ壮麗な美しさを誇った。1891年に竣工したこの大聖堂は、正式名称を「東京復活大聖堂」というが、その創設者の名にちなんで広く「ニコライ堂」と呼ばれるようになった。

関東大震災による被災と岡田信一郎による復興

1923年(大正12年)の関東大震災によって、ニコライ堂は壊滅的な打撃を受けた。地震に伴う火災で内部の貴重な装飾やイコン(聖画)が焼失し、大鐘楼が倒壊してドームを破壊した。一時は取り壊しも危ぶまれたが、信徒たちの強い熱意によって再建が決定された。

再建工事の設計・監督は、歌舞伎座や明治生命館などで知られる昭和初期の建築家岡田信一郎が担当した。岡田はコンドルらのオリジナルデザインを尊重しつつ、ドームの形状を修復し、鐘楼の高さを抑えてバランスを調整するなど、より耐震性に配慮した現在の姿へと復興させた。近代日本におけるキリスト教受容の歴史と西洋建築技術の導入過程を今に伝える記念碑的建造物として、1962年に国の重要文化財に指定された。

ジョサイア・コンドル

日本近代建築の父の軌跡を辿り、失われゆく建築の記憶と設計思想の核心に迫る重厚な評伝。

至高の近代建築:明治・大正・昭和 人と建物の物語 (新潮新書 1078)

明治から昭和へ激動の時代を駆け抜けた名建築と、そこに生きた人々の情熱を写し出す物語。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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