上野原遺跡

高校日本史的重要度
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上野原遺跡 (うえのはらいせき)

縄文時代早期:約9500年前

【概説】
鹿児島県霧島市(旧国分市)に位置する、縄文時代早期の日本最大級の定住集落遺跡。従来の「縄文文化は東日本を中心に発展した」という通説を大きく塗り替え、約9500年前の南九州で高度な定住化と独自の文化が栄えていたことを証明する遺跡。

東日本先行説を覆した最古級の「定住集落」

日本の考古学界では、長らく縄文時代の定住化や文化の進展は落葉広葉樹林の広がる東日本で先行し、西日本や南九州での定住化は遅れていたと考えられていた。しかし、1997年からの発掘調査によって発見された上野原遺跡は、その歴史観を根本から覆すこととなった。標高約250メートルの台地上から、縄文時代早期前葉(約9500年前)に属する52棟の竪穴住居跡や集落の道跡、多数の調理用遺構(連穴土坑)が検出された。これは、定住が本格化した時期の遺跡としては国内最古級かつ最大規模であり、南九州において極めて早い段階から安定した集落が形成されていたことを示している。

高度な技術と儀礼を示す「壺形土器」と広域交流

上野原遺跡から出土した遺物は、当時の縄文人が高い技術と独自の精神世界を持っていたことを伝えている。特に、特徴的な角柱状の形をした「壺形土器(上野原式土器)」は、儀礼的な用途に用いられたと考えられ、その精緻な文様は縄文早期の土器製作技術の高さを示している。また、遺跡からは遠方の佐賀県腰岳産とされる黒曜石で作られた石器なども発見されており、当時の南九州の人々が火山活動にさらされる厳しい環境にありながらも、広範な交易ネットワークを構築し、豊かな生活を営んでいたことが明らかになっている。

最終更新:
2026年6月15日 @ 12:22

日本史一問一答(ランダム)

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