ボンベイ航路 (ぼんべいこうろ)
【概説】
1893年に日本郵船が渋沢栄一や紡績業界の支援を得て開設した、日本初の遠洋定期航路。安価で良質なインド産原料綿花を直接日本へ大量輸送するルートを確保し、日本の近代綿紡績業の国際競争力を飛躍的に高めた。
開設の背景と綿紡績業の急成長
1880年代、大阪紡績会社の成功を契機として、日本国内では機械制の近代海運・紡績業が急速に発展を遂げた。しかし、日本在来の和綿は繊維が短く、機械紡績には適していなかった。そのため、紡績各社は安価で品質が優れたインド産(ボンベイ産)綿花の輸入を強く求めていた。
当時、インドから日本への綿花輸送は、イギリスのP&O社など外国船主による「運賃同盟(カルテル)」に独占されており、高額な運賃が課されていた。この高い輸送コストは、日本の紡績業が国際市場へ進出する上での大きな障壁となっており、自主的な輸送手段の確保が焦眉の急となっていた。
渋沢栄一の主導と「運賃同盟」との激しい競争
この状況を打破するため、大日本紡績連合会を組織していた渋沢栄一らは、日本独自の遠洋航路の開設に向けて動き出した。渋沢らは日本の大手海運会社である日本郵船と交渉し、往路に日本産のマッチや石炭を、復路にインド産綿花を積載することを約束する契約を結んだ。これにより、1893年に日本初の遠洋定期航路としてボンベイ航路が開設された。
これに対し、既存の外国船主同盟は大幅な運賃値下げを断行し、日本郵船を市場から駆逐しようとする激しい運賃競争(同盟戦争)を仕掛けた。しかし、日本の紡績業者たちは結束して日本郵船への積荷保証を維持し、また日本政府も航路補助金を交付してこれを支援したため、日本郵船は競争を勝ち抜き、翌1896年には外国船主との間で対等の運賃協定を結ぶに至った。
産業革命の進展と日本海運の自立
ボンベイ航路の開設は、日本の近代産業の発展において決定的な意義を持った。安価な原料綿花の安定的な大量輸入が実現したことで、日本の綿紡績業の生産コストは劇的に低下した。これと同時期に行われた綿花輸入税の廃止(1896年)や綿糸輸出税の撤廃(1898年)とも相まって、1897年には綿糸の輸出量が輸入量を凌駕し、日本は産業革命の確立期を迎えることとなった。
また、海運業の視点からも、この航路の成功は日本郵船がその後に欧州航路、シアトル航路、豪州航路などの国際遠洋網を拡大していく先駆的な成功体験となり、日本の海運業が欧米列強と肩を並べる水準へと成長する契機となった。