ケロッグ
1856年〜1937年
【概説】
第一次世界大戦後の国際協調期において、不戦条約(パリ不戦条約)の締結をフランス外相ブリアンとともに提唱したアメリカ合衆国の政治家。クーリッジ大統領のもとで国務長官を務め、国際紛争を解決する手段としての戦争放棄に尽力した。この功績により、1929年にノーベル平和賞を受賞した。
不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)の提唱
アメリカ国務長官ケロッグは、1927年にフランスの外相ブリアンから米仏間の戦争放棄条約の締結を提案された際、これを米仏2国間にとどめず、世界の主要国が広く参加する多国間条約へと拡大することを提案した。この提案が実を結び、1928年8月にパリで不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)が調印された。同条約は、国際紛争解決のための戦争放棄、および国家の政策手段としての戦争放棄を規定した画期的な平和条約であり、当初の調印国15カ国から、最終的には日本を含む60カ国以上が参加するに至った。
日本における条約批准をめぐる憲法論争
ケロッグらの提唱した不戦条約は、日本の昭和戦前期の政治にも大きな波紋を広げた。1928年、当時の田中義一内閣は条約に調印したが、条約第1条にある「其の各自の人民の名に於て(In the names of their respective peoples)」という文言が国内で問題視された。野党や枢密院は、この表現が大日本帝国憲法における統治権の総攬者である天皇の宣戦大権に抵触する(天皇主権に反する)として激しく政府を追及した。この「人民の名において」論争の結果、日本政府は批准にあたって「日本国に限り適用せざるもの」とする留保宣言を付すことで、ようやく批准に漕ぎ着けた。