たおやめぶり (たおやめぶり)
【概説】
平安時代に編纂された『古今和歌集』などに顕著に見られる、女性的で優美かつ繊細な和歌の作風・様式。江戸時代中期の国学者である賀茂真淵が、『万葉集』の男性的で力強い歌風である「ますらおぶり」と対比させる形で命名した。平安時代の国風文化を象徴する文学的特徴である。
国風文化の開花と『古今和歌集』の歌風
平安時代前期から中期にかけて、遣唐使の停止などを背景として、日本独自の風土や感情に根ざした優雅な「国風文化」が発達した。その文学的な集大成の一つが、905年(延喜5年)に紀貫之らによって編纂された初の勅撰和歌集である『古今和歌集』である。
『古今和歌集』に収められた和歌は、掛詞(かけことば)や縁語などの修辞技巧を駆使し、理知的で洗練された情趣を特徴としていた。そこには、激しい感情を直接的にぶつけるのではなく、自然の移ろいや恋愛の機微を優美に、そして繊細に表現する美意識が貫かれている。このような、しなやかで女性的な趣を持つ表現様式が、後に「たおやめぶり(手弱女振り)」と称されることになるのである。
賀茂真淵による命名と「ますらおぶり」との対比
注意すべきは、「たおやめぶり」という呼称が平安時代当時に使われていたわけではないという点である。この言葉は、江戸時代中期に国学を大成した賀茂真淵(かものまぶち)によって生み出された。
真淵は、日本の古代思想や精神の純粋さを探求する中で、奈良時代の『万葉集』に見られる、素朴でおおらか、かつ男性的で力強い歌風を「ますらおぶり(益荒男振り)」と名付けて高く評価した。そして、それに対する概念として、『古今和歌集』以降の貴族的で技巧的な歌風を「たおやめぶり」と呼んだのである。真淵の国学思想においては、古代の力強い「ますらおぶり」こそが理想とされたため、「たおやめぶり」には作為的で弱々しく退廃した作風という批判的なニュアンスが込められていた。
日本独自の美意識としての定着
賀茂真淵からは相対的に低い評価を受けた「たおやめぶり」であったが、歴史的に見れば、この歌風が日本文化に与えた影響は計り知れない。『古今和歌集』が確立した優美で繊細な情趣は、「もののあわれ」を基調とする『源氏物語』などの平安文学へと受け継がれ、その後の日本文学の決定的な潮流となった。
中世から近世に至るまで、和歌を詠む際の絶対的な規範(手本)とされたのは『万葉集』ではなく『古今和歌集』をはじめとする八代集であった。「たおやめぶり」の根底に流れる、繊細な自然観や人間心理の捉え方は、時代を超えて日本人の美意識や精神風土の奥底に深く定着していったと言える。