ますらおぶり
【概説】
奈良時代の『万葉集』に見られる、男性的で素朴、かつ力強くおおらかな歌風。江戸時代中期の国学者である賀茂真淵が、儒教や仏教に影響される前の日本古来の純粋な精神性を表すものとして提唱・推奨した美意識である。
万葉の時代精神を体現する歌風
『万葉集』が編纂された7世紀から8世紀後半にかけての奈良時代は、律令国家の形成期であり、人々の生活や精神には未だ古代の素朴な力強さが残されていた。天皇や貴族だけでなく、防人(さきもり)や東国の庶民にいたるまで幅広い階層の歌が収められており、そこには技巧に流されない、直截的でスケールの大きな感情表現が見られる。これを、江戸時代の国学者である賀茂真淵(かものまぶち)が「ますらおぶり(益荒男振り)」と命名し、男性的でたくましく、大らかな歌風として高く評価した。
賀茂真淵の国学思想と「万葉主義」
江戸時代中期、儒学(特に朱子学)が幕府の公認学問として全盛を迎えるなか、これに対抗して日本の古典を実証的に研究し、外来思想に染まる前の日本固有の精神を究明しようとする国学が台頭した。賀茂真淵はその先駆者であり、漢心(からごころ:中国伝来の儒教的・合理主義的な思考)を強く批判した。真淵は、古代人の清く直き心(古意)を取り戻すためには、外来思想の影響を受ける前の言語や文学を学ぶべきだと主張し、その最高のテキストとして『万葉集』を位置づけた。彼が提唱した「ますらおぶり」への傾倒は、単なる文学論にとどまらず、古代の理想社会への精神的復帰を目指す国学の思想運動と深く結びついていた。
「たおやめぶり」との対比と後世への影響
真淵は、『万葉集』の男性的な歌風を「ますらおぶり」としたのに対し、平安時代の『古今和歌集』以降に見られる優美で女性的、かつ洗練された繊細な歌風を「たおやめぶり(婉女振り)」と呼んで対比させた。真淵は古今調の女性的な技巧を衰退と捉え、万葉調の力強さへの回帰を求めた。この主張は、後に『源氏物語』などの「もののあわれ」を重視し、どちらかといえば「たおやめぶり」に価値を見出した弟子の本居宣長(もとおりのりなが)の学説とは好対照をなしている。しかし、真淵が示した「ますらおぶり」の美意識は、明治時代に正岡子規らが展開した短歌革新運動(万葉調の「写生」の重視)に受け継がれ、近代短歌の成立にも決定的な影響を与えることとなった。